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自閉症者が人類社会に「不可欠」である理由 〜実は障害ではない!

最新研究が明かした驚きの真相
正高 信男 プロフィール

人類繁栄の車の両輪

社会がこれほど産業化する以前の人類の生活を考えた場合、今日なお数理的な思考や生物に非常な関心を示し、学校でもすぐれた成績をのこすことからもうかがえる自閉症者のスタンスと、そうでない人のスタンスのいずれが欠けたとしても、人類の今日の繁栄はなかったのかもしれないのだ。

ニホンザルの近縁であるアカゲザルの群れでも、集団外の脅威にもっぱら注意を払うサルと、仲間同士の社会的交流の調整にエネルギーを注ぐサルがいて、しかもサルがどちらの役割をはたすかは遺伝的にきまっている(専門的には遺伝的多型があるという)ことが報告されているが、人間にもこうした特徴はうけつがれているらしい。

社会的周縁に存在し、自然界のなかで自分たちがどう生きていくかに思いをめぐらす人物と、集団・社会内で互いの利益を調整し、どう上手くやっていくかに思いをめぐらす人物がいる——前者こそが自閉症者であることは改めて指摘するまでもないだろう。

先史時代、われわれの祖先が狩猟採集に依存した生活をおくっていたころ、天候の変化をよんだり、動物の習性を知ったり、あるいは簡便な道具を作成したりするための「ナチュラリストとしての才覚」にたけていた存在と、社交にたけた存在が相補的に機能することが、人類の地球上での生活圏の拡大に多大の貢献をはたしたと考えられる。

生物が同一の空間・場所にあって同じ景観に接したところで、その認識する世界は種によって多様である。

たとえばチョウは人間には不可視の紫外線を見ることができるし、ニホンザルのわれわれの可聴域(上限がおよそ18000ヘルツ)をはるかに超える超音波を聞いている。

生物の世界がそういう多種による多様性、つまりバイオダイバーシテイ(生物多様性)によって成立しているように、人間の世界も遺伝的に異なる多様な存在がそれぞれ微妙に異なる脳神経システムを発達させることを介して、多様性を構成しているのである。

これがニューロダイバーシテイという発想である。

 

多数派による「迫害」

ただし量的には社会的周縁で生活するのに適応したような存在は、全体のなかで相対的に少数でこと足りる。おのずと全体のなかでマイノリテイとなる。

他方、いわゆる「健常者」が多数派を占めることとなる(ニューロダイバーシテイの考え方では、彼らのことを指して「定型脳を保持している(ニューロティピカル neurotypical)、略してNT」と表記する)。

そして有史以降、時代を経るにつれてNTの人たちがマイノリテイを駆逐し、自分たちにのみ都合の良い状態へ生活環境を変えてきたというのが,今日の先進国社会の状況にほかならない。

たとえば聴覚ひとつとっても、自閉症者は非常に音に敏感である。それはかつては外界のほんのちょっとした不穏な動きにも反応するためにきわめて有用な感性であったと推測される。

だが人工音が巨大な音量で氾濫する現在の日本の都会のような所では、ただただイライラさせられるばかりで、ついついキレやすくなる始末である。

自閉症者には音楽への美意識が生まれながらに発達している人が多いのも、これと関係している。

そして世の東西を問わず、封建制が崩れ土地との結びつきから解放されだした際、まず生活を移動しはじめたのが音楽的パフォーマンスをなりわいとする人々であったのは、決して偶然ではない。

遊芸人(英語のwondering minstrel、ドイツ語のSpielmann、アフリカ圏のgriot)は定住民とつきあうことを好まず、彼らに蔑まれつつコミュニテイから排除される形で、放浪をくりかえしたが、この時代からNTによる自閉症者への迫害は激化しだしたのだった。