「自分は絶対に正しい」と思い込む人々が陥る罠

時を超える日蓮の「警告」
佐藤 優 プロフィール

真理は人それぞれにある

さらに興味深いのは、第8段で展開されている自分と見解が異なる宗派に対する日蓮の対処方針だ。

日蓮が自らと見解を異にする宗派を手厳しく批判することに対して、客が『大集経』の経文を根拠に疑問を呈する。

〈この経文から推し量るに、その人物の善悪や是非を論ずることなく、僧侶たる者に対しては供養を捧げるべきである。仏子である僧を打ち辱めて、その父である仏に悲しい思いをさせてよいものであろうか。

かつて釈迦の弟子である目連尊者(もくれんそんじゃ)を殺害した竹杖外道(ちくじょうげどう)は、長く無間地獄の底に沈み、蓮華比丘尼(れんげびくに)を殺した提婆達多(だいばだった)は、久しく阿鼻地獄の炎に焼かれることになった。先例はかくも明白である。後世に生きる我々は恐れ慎むべきであろう。

あなたは正法を誹謗する者を戒めようとしているようにみえるが、実は仏の禁則を破っているのだ。そんなあなたのいうことはとてもにわかには信じられない。この点をどのように考えればよいのであろうか〉

この問いに対して主人はこう答える。

〈私はただ謗法者(ほうぼうしゃ)〔正しい仏教に敵対する者〕への供養を止めよと主張しているだけであって、決して念仏の僧を力ずくで弾圧せよといっているわけではない。私は正法を謗る者が許せないだけなのである。

釈迦以前の仏教は謗法者を容赦なく殺害したが、釈迦が世に出られてからは謗法者への布施を止めるようになった。この世のありとあらゆる人々が謗法の僧侶への布施を停止し、みな正しい教えに帰依したならば、いかなる災難が競い起こることがあろうか〉

自分の考えが、絶対に正しいと考える人は、それに敵対する人を排除しようとする。

幕末の志士たちの内紛、1930年代に陸軍の統制派と皇道派の間で展開された権力闘争、1960年代から'70年代にかけて新左翼諸党派間で展開された内ゲバは、いずれも敵対する他者を殺害することで問題の解決を図った。

このような抗争が生じることを防がなくてはならないと日蓮は真摯に考えている。

釈迦の出現以後、敵対者を殺害することを避けるようになったことを日蓮は強調する。謗法の僧侶に対しても「布施を停止する」以上の行動を取らないという形で、憎しみの連鎖が起きることを日蓮は防ごうとしている。

この背景には、日蓮の多元的な真理観がある。自分にとって絶対に正しい事柄が存在するとともに、他人は、自分とは別の考えを絶対に正しいと信じている。

その現実を認めた上で、自分に敵対する考えの人々には、援助をしないという手法で、競争を展開し、その中で勝利していこうとする発想だ。

絶対に正しい信念を抱く人が陥る罠を、脱構築する強靱な思考力を日蓮は持っている。

週刊現代』2017年5月20日号より