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「自分は絶対に正しい」と思い込む人々が陥る罠
時を超える日蓮の「警告」

750年の時を超えて

立正安国論』は歴史教科書にも出ている重要な書物であるが、実際に読んだことのある人は少ない。講談社学術文庫版では、佐藤弘夫氏がわかりやすい現代語に訳しているので、古文が不得手な読者でも本書の内容をよく理解することができる。

日蓮が『立正安国論』を執筆したのは1260(文応元)年のことだ。

750年以上前のテキストであるにもかかわらず、リアリティを失っていない。それは、本書のテーマが外敵の脅威、内政の混乱のなかでどのようにすれば日本人と日本国家が生き残っていくことができるかということだからだ。

日蓮はこのテーマと真剣に取り組み、本書を著し、鎌倉幕府における当時の最高実力者であった北条時頼に、人を介して提出した。時頼が『立正安国論』を読んだかどうかは実証されていないが、読んだと考えるのが主流説のようだ。

本書は全10段で構成されている。第1~9段は、客と主人の対話形式であるが、第10段では客だけが語って言う。主人(日蓮)の見解に客が完全に同意したということなのであろう。

結論として客は、当時、強い影響力を持っていた法然の念仏信仰を放棄し、日蓮の説く仏法に帰依して、その信仰を実践する決意を表明する。

 

本書を巡って常に論争の対象となっているのが、第7段の〈先ず国家を祈って須らく仏法を立つべし〉という客の発言の解釈だ。

この前後を含む現代語訳を見てみよう。

〈ただ、災難の根源が法然上人の『選択集(せんちゃくしゅう)』にあることを、あなたはしきりに強く主張しておられる。結局のところ、天下の泰平と国土の安穏こそは君臣の求めるものであり、民衆の願うものである。国は法によって繁栄し、仏法はそれを信ずる人によって輝きを増す。

国が滅び人が尽きてしまったならば、いったいだれが仏を崇め、だれが法を信ずるというのか。それゆえ、仏法を宣揚するにあたって真っ先に願うべきことは、仏法存続の基盤である国土と人民の安泰でなければならない〉

この箇所を、仏法が存在する前提条件は、国家なので、まず国家を祈るべきだというのが日蓮の真意であると解釈する人々がいる。佐藤弘夫氏はこのような解釈を取らず、

〈この段で客によって主張される「先ず国家を祈って須らく仏法を立つべし」という言葉は、通説が説くように「仏法」に対する「国家」の優位を主張するものではなく、民衆の平和な生活=「安国」実現の緊要性を説くものであった〉

と主張し、それが日蓮の見解であったと説く。興味深い解釈であるが、客の発言はあくまでも北条時頼を念頭に置いた日蓮の対論者の見解と読むのが自然と思う。いずれにせよ、仏法に対する国家の優位を説いたという解釈は、日蓮の認識と一致していない。『立正安国論』から国家至上主義という結論を導き出すことはできない。