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週刊現代

「フェイクニュース」を本物と勘違いしてしまう人に読んでほしい3冊

作家・塩田武士のメディア研究

「質」が「技術」に追いついていない

情報の世紀を生きる私たちは、その「枠組」と「質」に対して感性を研ぎ澄ませておく必要がある。前者を「メディア」、後者を「ジャーナリズム」と置き換えると、イメージしやすい。

メディアに関して言えば、ヤフーをはじめとするキュレーションサイトとSNSの定着で、情報の受発信の形は、私が社会人1年生だった15年前とまるで異なる。

技術革新と情報量の爆発的な増加が、新聞、テレビ、雑誌といったレガシー・メディアの圧倒的地位を揺がせ、ネット系メディアが人々の生活の中心に入ってきた。結果、「マス」を演じる役者がより豊かになった。

私はこれを昨年発売した『罪の声』の販売活動で痛感することになる。ツイッターのフォロワー数が地方紙の発行部数を凌ぐ有名人のつぶやきや、「radiko」の出現で、時間的、空間的な制約を取り払ったラジオの威力など、情報拡散が従来通りの波紋を描かないことを体験した。

こうした「枠組」の変遷に対して、その「質」の変化は非常に心許ない。

アルゴリズムという“お節介”が、心地よい情報の上書きを繰り返して嗜好を固定化させ、SNSを中心に「フェイク・ニュース」という犯罪行為に等しい偽情報の拡散を許している。

人心操縦の怖さを浮き彫りにした米大統領選の結果は、「言論の自由」を守りぬく「合衆国憲法修正第一条」を持つ国で起きたこととは思えない。

 

事実を娯楽の踏み台にする「POST TRUTH」という言葉を冠に使った『「ポスト真実」時代のネットニュースの読み方』は、地に足がついたジャーナリズム論の良書である。元日経新聞記者の松林薫氏の選ぶ言葉はどこまでも的確だ。

ジャーナリズムの発展について「『賢い消費者』なくして、健全な市場というものは存在しえない」「市民が(中略)自分が報道システムの一部に組み込まれているのだという自覚や倫理観を高めていかなければならない」と、紋切型の「マスコミ批判」を諫める。

私は、かつて記者をしていた経験から、「現実は因果関係にさほど支配されない」という言葉にハッとさせられる。記者が穿った見方をして強引に点と点を結んでしまうことはよくある。行き過ぎると、いわゆる陰謀論につながるが、これも取材の魔物の一つだろう。

そうした罠に陥らないためにも、本書で指摘する「メディアの5つの制約条件」―取材、時間、字数、読者、収益―の「限界」を理解することは有効だろう。

その他、ネット情報について、原典に遡ることの大切さや、新聞社系サイトであっても、未完成のままリリースする文化があることなど読ませる構成だ。