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ロシア 北方領土
日ロ関係と歴史の逆説 〜100年目のロシア革命再考
プーチンとレーニンを結ぶ秘密の館

何が日ロ関係を動かすか

2016年末の山口での日露首脳会談後、日ロ関係は新たな局面に入り始めた観がある。

戦後70年以上も未解決だった領土問題は、一挙に解決することはできなかったものの、「長期の安定した」国境を画定する平和条約締結の必要を両首脳、特にプーチン大統領が明言したことに大きな意味があった。

その結果、昨年末に合意されたのは一種の2段階戦略であった。

それはまず北方四島での共同経済活動をめぐる一種のミニ国際条約を結ぶ。その上で平和条約による主権と国境画定の段階に進むというものである。

共同経済活動は従って、日本の法的立場もロシアのそれも害さない「特別の枠」で行うことになる。つまり、北方領土において、日本でもロシアでもない一種の国際法的空間を作って、そこで漁業、養殖から、医療、観光といった新旧島民を中心に自由な活動の枠組みを合意し、その上で次の平和条約を作る、ということのようだ。

このような日ロ関係が現実的に変化する契機は、基本的にロシア、ソ連の変化が重要である、というのが私の仮説である。

1956年の日ソ共同宣言も、フルシチョフが1955年8月、突然二島論を言い出したことがきっかけだった。

今回もこの時の二島論をベースにして、これまで隘路に入ってきた日ロ交渉を打開しようと、2012年春にはプーチン氏が柔道用語の「引き分け」と言い出した。この考えに、安倍首相が昨年5月、「新しいアプローチ」で対応したことで動き出している。

 

プーチンとレーニンをつなぐ館

そのプーチン大統領、奇しくも本年100年目を迎えるロシア革命の指導者レーニンとは奇妙な接点があった。

プーチン氏の回想的自伝では、祖父が晩年レーニン家のコックだったということを明らかにしている。

レーニンレーニン(1870-1924)

しかしその祖父と晩年のレーニンとが会った場所(レニンスキエ・ゴルキ)を、英訳の翻訳者が間違え、現在の大統領別荘と比定したために、ロシア革命の秘密にも関わる重要なこのヒントを多くの専門家は見逃していた。

最晩年のレーニンをかくまったのは、実はこの村にいたロシア正教の異端派、「古儀式派」の村人であった。というのも、この別荘もじつは「古儀式派」から革命前に繊維王となったサッバ・モロゾフの夫人の館、かつてレーニンら革命派の出版活動を陰で支えたスポンサーの館だったのだ。

古儀式派とは、簡単に言うと正教流「プロテスタント」、つまりは資本主義を逆説的にも生み出した敬虔なキリスト教原理主義者の正教版であった。

ロシア革命といえば、マルクス主義の壮大な歴史的ビジョンをとるか、それともそれを否定するか、といった違いはあるものの、近代化をもたらした資本主義の否定を目指した運動といった枠で理解されてきた。

ところがその近代化の担い手が、このようなむしろロシアの保守的で敬虔な正教徒の異端派の現れであった、といったら多くの人は驚くのではないだろうか。