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憲法を自分で作ってみた!明治の日本人が見せたナントも豊かな想像力
天皇リコールもあり!?

自分の手で国家の指針をつくる

憲法改正を旗印に掲げる安倍政権にとって、天皇の「生前退位」という課題が立ちはだかったのは、思いがけないことだったろう。

しかし、安倍首相の改憲への意欲が薄らいだわけでは決してない。3月5日におこなわれた自民党の第84回定期党大会でも首相は、憲法改正発議への議論を主導していくことに決意を表明した。

いっぽう、「護憲」を掲げるリベラル陣営では、関連出版物の刊行などはさかんだが、目新しい問題提起を打ち出せずにいるようにみえる。

ここでは、『大日本帝国憲法』前夜に遡って、“憲法作成ブーム”というべき現象を顧みたいと思う。いまから130年程前、「憲法」を自分で考え、作ってみることが流行になっていたことは、歴史家や憲法学者以外には、あまり知られていないのではないだろうか。

明治維新から10年が経過し、国会の開設に向けて、自由民権運動の担い手たち、ヨーロッパの国情に精通した官僚や軍人、明治天皇のブレーン、地方の名もない青年たちがこぞって、憲法草案の作成に熱中した。こうしてできたいわゆる「私擬憲法」は、確認されているだけでも60近くにのぼるという。

「自らの手で国の指針を作り出すことができるかもしれない!」――こんな夢と熱情が、流行現象を生み出した理由にほかならない。私案のなかにはしかも、1947年(昭和22年)5月3日に施行された「日本国憲法」より、“民主的”なものまであったのだ。

 

基本的人権を認めよ!

維新の直後にも、旧藩士や外交官らが先陣を切って、憲法草案をまとめていた。しかし、私擬憲法の作成が本格化したのは、「国会期成同盟」が、各地の政治結社に私案を持ち寄ることを呼びかけた、1880年(明治13年)以降のことである。

このような自由民権運動の潮流から私草された憲法案には、基本的人権を認め、国民主権を明確に定めるものも少なくなかった。なかでも最も急進的だとされるのが、植木枝盛(えもり)の『東洋大日本国国憲法按』(1881年起草)である。

植木の憲法草案の先進性は、全220条中36か条におよぶ人権規定と、第72条に示された政府への抵抗権に表わされている。

第5条「日本ノ国家ハ日本各人ノ自由権利ヲ殺減スル規則ヲ作リテ之ヲ行フヲ得ス」、第42条「日本人民ハ法律上ニ於テ平等トナス」、第49条「日本人民ハ思想ノ自由ヲ有ス」と人民の自由・平等を保障。

第72条には「政府恣(ほしいまま)ニ国憲ニ背キ 擅(ほしいまま)ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ 建国ノ旨趣ヲ妨クルトキハ 日本国民ハ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得」と定めて、国民による革命の権利まで認めているのだ。