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地震・原発・災害 文学

長崎で被爆した作家が、福島原発の惨事に憤りながら遺した言葉

いま噛みしめたい

8月9日に運命が決定した男女

長崎での被爆体験の語り部として、原爆と被爆の実態を問い続けた作家の林京子さんが今年2月19日に亡くなられた。

1981年に発表された長編小説『無きが如き』がNHKの夏期ドラマ特集として企画されたとき、おこがましくも私が脚本を担当することになった。

取材でお会いした林さんからは、日常の隅々までに拘(こだわ)って生きる独自の感性に貫かれた佇いが凛として匂い立っているようだった。

『約束の地』と改題されたドラマは、原作者とその周辺の被爆体験者たちの実態と、ヒロシマの被爆二世を騙る若者の被爆追体験の二重構造として組み立てられた。

即ちそれは私というその他の日本人と被爆体験者たちとの距離をいかに埋めて行くかの作業でもあって、20万人以上の死者とそれ以上の被爆者を生み出したヒロシマ・ナガサキの風化に抗するための方法論として真剣に取り組んだつもりだった。

しかし、8月9日に放送されたドラマは真正面からぶっつかる気迫を欠いた代物で、私は原作者に対する申し訳なさに身を切り刻まれた。この度、著者の訃報に触れて、あの頃のことがまざまざと蘇ってきたという次第だ。

 

谷間 再びルイへ。』に収められた中編「谷間」には、20歳年上の夫と、14歳で「八月九日の被爆者」となった女の性を持つ著者との離婚に至るまでの経緯が生々しくも詳細を極めて綴られており、感慨に揺すぶられる。

「君との結婚生活は被爆者との生活に他ならなかった」という夫はジャーナリストとして上海に派遣され、「八紘一宇」の国策の側に身を置きながら、戦後の百八十度の価値体系の崩壊を身を以て体験したために、全てを相対化せずにはいられない始末の悪いインテリとでも言うべきか。

一方では二・二六事件から貧窮農民の満州移民を経てソ連侵攻までの敗戦に至る中国大陸との関わりを同時代的に引き摺っているような、そんな男と8月9日の絶対悪によって被爆した女との結婚生活の日常の相剋と破綻の物語は、個的な事情を超えて歴史的な感慨を喚起させずには済まないのである。

原発事故での専門家の甘さ

「再びルイへ。」で著者は3・11のフクシマのメルトダウンで飛び散った放射性物質や核物質に対する国と政府、電力会社、核の専門家たちに対する認識の甘さに呆れる。

「内部被曝こそが被爆者たちが生涯に亘って向き合ってきた核と人、核物質と命の問題」に他ならないのだ。

「その場から早くお逃げなさい」と呼びかけた著者が、自主避難者の帰還を巡り復興相の発した「本人の責任」「裁判でも何でもやればいい」等の暴言を知ればあまりのことに絶句し、憤怒の鬼と化すだろう。

関西電力の高浜原発3、4号機は大阪高裁の仮処分取り消しで再稼働が認められ、国連の核兵器禁止条約制定の交渉に日本は不参加を表明するなど、林さん、あなたが逝かれてからもこの国の被爆体験の風化と不吉な戦前回帰の勢いはとどまることを知らないのです。

さて、『貴三郎一代 兵隊やくざ』と言えば御存知勝新太郎主演の同名映画化シリーズの原作。

ソ連と国境を隔てた北満の駐屯地で香具師(やし)として生きてきた三十貫もの目方のある熊のような暴力的初年兵貴三郎と、その戦友として教育係に任じられたインテリ古参兵「私」とのコンビが繰り広げる痛快無比の軍隊物語である。

ふたりともグロテスクと言うしかない理不尽ずくめの軍隊を呪っていることに変わりはなく、「私」と貴三郎は娼婦と3Pをやらかすなど、殆ど人生の戦友として濃厚な関係となり、ついには共に兵営を脱走する。