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京都の「いけず」の正体〜「一見さんお断り」にもワケがある
店が「客を選ぶ」のは傲慢か?
堀部 篤史 プロフィール

「いけず」の反対側

ある程度敷居を作ることで、店を理想の状態に保つ。そのためには多売ではなく、スモールサイジングすることで長続きを重視する。自分自身の売りたいものを扱うことで、情緒と仕事を近づける。

結果的に、ひと握りの本好きや、文化的な香りを愛する層を選び、店の前で撮影をするために足を運び、お土産物を探しに来るお客さまを遠ざけたのであれば、これもある種の「一見さんお断り」なのかもしれない。

photo[著者提供]

自分がこういった選択ができたのは、決して計算高さからではない。商売を拡大しブランド化するよりも、毎日同じ仕事を厭わずに変わらぬクオリティのものを提供し続けることの美しさを街の先輩方が身をもって示してくれたからだ。

誠光社」からほど近い、骨董品屋や老舗の洋菓子店などが立ち並ぶ寺町通り二条の「三月書房」は、まさにそんな姿勢を見せ続けてくれた大先輩でもある。

「セレクト書店」という言葉がもてはやされるずっと以前から、当たり前のように店が1冊1冊選んだ棚を文脈を持って並べられていたし、複合化の潮流にのまれることなく、書籍のみで商いを続けてこられた。

アルバイトスタッフなど一切雇わず、家族経営で60年以上。アナーキズムや現代短歌の書棚は有名で、全国から同店を詣でる本好きは後を絶たない。

 

自分が理想としたのはこのような本屋のあり方だった。さらには、そういった店が長続きするのは、ブランドという付加価値や、巨大企業の持つ合理性を選ばず、「顔の見える店」の居心地の良さを選び続ける京都の人々の美意識に下支えされているから。私も彼らに後押しされるようにして、より小さく、わがままな店を選んだのだ。

京都の「いけず」が語られる視点は決まって外からのものだ。内側から見ればそれは「いけず」でもなんでもなく、持続することを最大の美徳とする商売人たちの必死の営業努力だ。視点によって姿を変える、そういった意味でも「裏表のある」街が京都なのだ。

願わくば、気に入った店には一度だけではなく繰り返し足を運んでみていただきたい。撮影して人に見せるでもなく、消費するように名物だけを注文するのではなく、「裏側」から眺められるまで訪れて、「いけず」の反対側を知っていただきたい。

堀部篤史(ほりべ・あつし)
「誠光社」店主。1977年生まれ、京都市左京区出身。恵文社一乗寺店店長を長年勤めた後、独立。2015年末に自身の店「誠光社」をオープン。