現在の香港〔PHOTO〕GettyImages
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ゼロからわかる香港と中国のねじれた関係
東アジアのゆくえを考える

香港の150年

去る3月27日、新しい香港行政長官が選任された。

中国政府に近い林鄭月娥(キャリー・ラム)前政務官である。

新しい香港行政長官、キャリー・ラム氏〔PHOTO〕gettyimages

香港が中国に「回帰」したのは1997年だから、今年の7月で20周年。その節目に、新行政長官が就任した。いったいどんな施政で臨むのか。

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香港は1842年、アヘン戦争を終わらせた南京条約で、清朝がイギリスに割譲したことにはじまる都市である。いまでこそ700万以上の人口を有するけれど、アヘン戦争以前はほとんど人が住んでいなかった。

イギリスの植民地になってから、大陸からおびただしい人が移住し、東南アジア・欧米にひろがる貿易・金融のセンターとして栄えたのである。

日本でいえば日清・日露の時代、19世紀最末期から20世紀のはじめは、西洋帝国主義の華やかなりし頃。その只中の1898年、香港の後背地の「新界」をイギリスが新たに「租借」した。

1890年頃の香港〔PHOTO〕gettyimages

「租借」とは文字どおり、借りる、リースする、という意味である。期間は99年。1997年の「回帰」はしたがって、期限満了の返還にひとしい。

もっともこの「租借(リース)」は、歴史的にみると、いわばレトリックである。「99年」とは、当時のニュアンスでいえば「半永久的」、「もらう」のとほぼ同義だったから、植民地と租借地に本質的なちがいはない。

しかし「借りる」と記しておいたので、ほんとうに返ってきたのである。香港島と対岸の九龍半島南端は、元からイギリスの領土だが、今さらそこだけ切り離せないので、一括して香港「回帰」となった。

一国二制度

そうはいっても、150年の歴史は重い。香港はその間、大陸とは全く異なる政治・経済であった。またその差違が機能し、東アジアの政治的秩序・経済的繁栄に寄与してきたのも確かである。

そんな情況をいきなり壊しても、誰も喜ばない。けれども「回帰」した香港は、中国の一部でなくてはならない。

そこで考え出されたのが、いわゆる「一国二制度」である。

 

読んで字のごとく、香港は中国という「一国」の中にありながら、大陸とは制度・体制を異にする、との謂(いい)にほかならない。地位と現実のかけ離れたギャップを、どうにかすりあわせるシステムだった。「五十年不変」のそれがはじまるにあたって、中英の間で異論がなかったはずはない。

なかんづく最後の香港総督に任じたクリストファー・パッテンと中国との対立は、なかなかに劇的だった。

パッテン総督は1992年に香港に赴任するや、政治の民主化に尽力した。中国への「回帰」を目前に控えた香港で、民主政治の存在しない大陸へのあてつけともとれる行動である。中国側は不快感をつのらせた。

それもあって、「回帰」当初は先行きを危ぶむ言論が、巷をにぎわした。外野席の日本ですらそうなのだから、当事者の周囲はなおさらだっただろう。

しかし案に相違して、その「一国二制度」は、ごく順調な滑り出しだった。ちょうど経済発展が加速しはじめていた中国は、経済関係の深化を優先したからである。