photo by Harumin Asao
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タモさんもビックリ!?「猫の目」で歩くと街はこんなに隙間だらけ

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隙間がないと生きていけない

今年のお正月に私は「隙間を生きる」という1年の目標を立てた。

いや、目標にしなくてもそんなような存在に近寄っていってしまうことを自分で認め、隙間的な場所や製品や存在や時間や乗り物や状態といった身の回りの隙間に、積極的にあたっていこうと思った。

隙間的存在は、あいまいだし、重みがない。儲かりそうにない。分類の枠から漏れ出ている。「そういえばあったな」くらいにしか思われないおかげで見過ごされて自由でいられる。

どっちでもなくてどっちでもあるもの。あいまいなゆえに統治されていないもの。そんな隙間的な場所では皆が油断しているように見える。だから私はとても気がらくで居心地がいい。

具体的には、道ばたの「ご自由にお持ちくださいコーナー」や、昼ひなかの時間帯に喫煙所でもないのに背広の人々がタバコをぷかっと吸いにやってくるビル街の裏路地や、ご近所の人しか乗っていないコミュニティバスや、米穀店と古本屋を1軒でハーフ&ハーフに営んでいる店にも隙間的な良さを感じる。喫茶店のメニューの中にもありそうだ。

そういうんじゃなくて、細い路地や、建物と建物の隙間もいい。いつか使うかもしれない家財道具置き場にされたり猫の通り道になったりしていて、活用する人は活用するし、無関心の人は気に留めないというどうでもよさが、私はとても心安らげる。

photo by Harumin Asao

そんなこともあって隙間的な存在は、この前あったのに次に行ったらもうなかったということが多い。廃止になったりきれいに整えられたり、その反対に人気が出て注目が集まって隙間的ではなくなったりする。

私は隙間がないと生きていけない。息が詰まってしまいそうだ。しかもこのごろ隙間が無くなるスピードが速くなった気がする。

そんな昨今、町を歩いて隙間的存在と出会えると、よっしゃあー! まだいける!と生き返るような歓びがある。