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野球

野球選手の人生は13歳で決まる(2)愛知にいる二人の怪物1年生

東邦・石川昂弥と愛工大名電・稲生賢二
前回(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51417)紹介した根尾昂は、春の選抜高校野球で優勝投手になった。根尾が生まれ育った東海地区に、この春高校生になったばかりの2人の逸材がいる。普段は仲がいいライバルのそれぞれの歩みに迫る。

父が導く野球エリートへの道

その逸材は今月、愛知県半田市にある亀崎中学から、名古屋市の古豪・東邦高校に進んだ。地元の知多ボーイズで活躍、愛知選抜や野茂ジャパンのメンバーにも選ばれ、アメリカ遠征も経験した大型内野手・石川昂弥(たかや)である。

185cm 、72kgの身体はまだ成長を続けており、高校2年となる来春、早ければ1年の今夏にも内野手として甲子園出場を目指している。

彼の存在を私に教えてくれたのは、中日ドラゴンズで少年野球の担当をしている水谷啓昭だ。

「東邦に行ったら、1年からレギュラーになれる力があります。リストが強く、バットの振りが鋭い。投手としても肩が強く、球威とキレのある球を持っている。プロへ行ったら、いまの巨人の坂本(勇人)クラスの内野手になれるでしょう」

今春、甲子園での選抜大会で優勝した大阪桐蔭の西谷浩一監督も、昨年は石川を熱心に勧誘していた。西谷が目をつけるほどだから、恐らく全国の強豪校からも様々な好条件を提示されたに違いない。

石川家はなぜそうした誘いを断り、地元の東邦を選択したのか。

石川は2001年6月、自動車会社に勤務する父・尋貴(ひろたか)(45歳)、母・由香子(44歳)との間にふたり兄弟の長男として生まれた。尋貴は181cm で身体に厚みがあり、見るからにがっちりしている。

高校時代は自身も東邦で野球をしており、山田喜久夫(のち中日、広島)ら1989年選抜の優勝メンバーの同期生だ。捕手だったがベンチ入りできず、甲子園ではアルプス席で応援に声を嗄らした。1学年後輩の由香子も東邦の生徒である。

結婚して長男を授かると、尋貴はすぐに野球のボールを触らせた。保育園の年長組を対象にした野球教室に入れ、さらに野球に親しませる。

今時の子供はサッカーと野球を両方やり、次第にサッカーへと流れるケースが少なくないが、石川家は常に野球一筋だった。

 

石川が小学2年になると、尋貴はあえて地元で一番厳しいチーム「ツースリー大府」に入れた。監督の下村勉は東邦OBで、尋貴の先輩である。かつては口を出せば手も出して、「鬼の阪口」と恐れられた阪口慶三監督(現・大垣日大監督)に徹底的にしごかれた世代の指導者だ。

土日や祝日は一日中試合か練習で、ときに語気荒く叱り飛ばしたりもする。「実は、それで結構迷ったんですよ」と尋貴が振り返る。

「ぼくはどちらかと言うと、野球を楽しんでやりたいほうでしたが、阪口先生の時代の東邦はとてもそんな雰囲気じゃなかった。正直、それに嫌気が差した時期もあったんです。

いまは昔ほどではないにしても、あんまり厳しくされたら、昂弥も性格的に続けられないかもしれないなあ、と」

しかし、将来も野球を続けるのなら、幼いうちにそういう厳しさを経験しておくことも大切だ。そんな父の思いを背に、大府で練習に励んだころを、石川が振り返る。

「辛かったですね。中学より厳しかったかもしれない。コーチとかふつうに怖いし。嫌になったりもしたけど、それでも、何とかやってました」