(*第1回「ときどき死にたくなるあなたへ」はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/51458)
地震のとき、僕は少しだけ安心感があった。なぜなら、みんなパニックになっていたからだ。
いつもは落ち着いている妻も、鬱になった僕をなだめてくれる友人も、僕の躁鬱の激しさにあきれ果てている母親でさえ、みんなおろおろしたり、突然、興奮状態になったりしていた。
逆に僕はこういう天変地異や危機的状態のときは落ち着くのである。
統合失調症や躁鬱病の遺伝子が太古からずっと生き残っているのは、周囲の人間たちがマラリアなどの伝染病にかかったときに、彼らだけは平熱で、看病をしたからだと何かの本で読んだことはある。そんな昔のことの真偽はよくわからないが、それでも僕はその気持ちがよくわかってしまう。
僕は、平穏な世界だと思われている日常生活において、常に狂気を感じてしまう。こんな意味のないことを延々と続けて、なんでみんな平然と生きていけるのだろうかと考えてしまう。
こんなことを誰かに相談したって、考えすぎだ、と言われて終わりだ。とにかく僕は退屈で、何か関心を持とうにも、すべてが馬鹿らしくなって、ただ寝ているほうがいい、いや、寝ているだけもきつい、ああもう早く死にたいと思ってしまう。
だから、天変地異のときは、出番がきた! とばかり動きはじめるのだろう。
建物が倒れるほど地面が動かないと、人間は、定住することなど本当はできない、高層建築など馬鹿げている、と感じることができない。
しかし、僕は地震のないときでも、いやむしろ地震のないときこそ、微細な揺れに反応してしまう。遠くで起きていることすら、感じているのかもしれない。正確なことは何もわからない。それでもよくわかるのは、僕がパニックになっていることである。
もちろん、平常時にパニックになっているのは僕だけだ。だから、大きな声で叫んだとしても、それはただの狂気の嘆きとしてしか受け取られない。誰も真に受けない。当たり前のことだ。
それで僕は次第にむなしくなっていく。焦燥感もすごくなっているのだが、まわりはゆったりで誰も焦ってなんかいない。それがますます僕の焦燥感を高めていく。
むしろ地震のときはよかった。地震のときは、過敏なアンテナである僕の体が反応していることをそのまま口にすれば、パニックになっている周囲の人間は耳を傾けてくれた。
僕がいてもたってもいられなくなって、逃げる、と言うと、ついてきてくれた。あのまま避難所にいたら、僕は自殺してしまったかもしれない。それくらい、僕は人のことが気になるし、広いとは言え、同じ空間にたくさんの人と一緒に避難生活を送るなんてできない。