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世界が警戒する日本の「極右化」〜私たちはいま、重大な岐路にいる
森友学園や安倍政権を決して侮るな
内藤 朝雄 プロフィール

どのような戦前を目指しているのか

彼らがめざすのは、どのような社会か。そのなかで、わたしたちはどのような生活を強いられることになるのか。彼らが人間の精神を根本からつくりかえることに熱心であるとすれば、わたしたちはどのようにつくりかえられてしまうのか。

一口に戦前といっても、いくつもの時期があり、多種多様な要素が混ざりあっている。今政権を盛り立てている勢力は、そのうちどの面に対しファナティックな情熱を示し、どの面に無関心なのか。このことから、私たちがどのような被害を受けることになりそうかを予測することができる。

彼らは、カミカゼ特攻隊、散華(さんげ)、英霊といったものを崇高なものとみなし、ファナティックな感動を示す。また、日本国憲法、個人の権利、個人の自由といったものを憎む。また、中国と韓国が日本に「逆らう」ことに常軌を逸した憎悪を示す(中国が超大国になった21世紀に、この上下感覚は滑稽ですらある。そして国防上きわめて危険である)。

対して、日露戦争で局地的な勝利を得た後、自軍が消耗しきっている事実を認識し、高額の賠償金や領土割譲をあきらめた明治政府の判断をほめたたえる、といったことはしようとしない。それどころか、アメリカと無謀な戦争をしたエリートたちを復権しようとする。

これらのことから、現在の「ウルトラ・ナショナリスト」勢力が取り戻そうとしている「戦前の美しい日本」なるものは、明治維新以降、さまざまな部分が混ざり合って進む日本近代史のなかで、昭和初期から敗戦までの時期に暴走し、悲惨な結果をもたらした最悪の要素であることがわかる。

一言でいえば、それは、個を超えた集合的生命として崇拝される〈天皇中心の国体〉なるものである。この共同幻想が世界の八隅を一つの家のように覆う(八紘一宇)ことをめざす、祭政一致の全体主義社会。これが昭和初期から敗戦までの大日本帝国であった。

これはいったい何なのか。

 

二つの国家観を理解する

二つの国家観(人間のためにつくられたしくみとしての国と、人間を超えた集合的生命としての国=国体)を対比させて考えると、「ウルトラ・ナショナリスト」勢力の行動様式や、そのめざすものを理解しやすくなる。そして、現状を放置すれば、これから日本社会がどのような被害をこうむるかも予想できる。

第一の国家観では、国家を、ひとりひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考える。

国は水道や電気や医療や交通網のように、ひとびとの生存にとってきわめて重要なものだ。その意味で、危険な国家メンテナンス業務をおこなっている自衛官は、高圧線上で危険な業務をしている技師と同様に、尊敬されて当然である。

また、国に軍隊があるのも当然である(この観点から、日本が普通の先進諸国なみのリベラル国家になった後で憲法9条を改正すべきだと主張する筆者は、「リベラル・タカ派」と呼ばれることがある)。

この第一の国家観からすると、「ウルトラ・ナショナリスト」勢力のいう愛国心は、水道管や電線を愛の対象にするような、奇怪なフェテシズムの情熱である。すくなくとも、日本で愛国心というとき、そのような意味で語られることが多い。

そのような愛国心ではなく、苦労して磨き上げた、ひとりひとりの人間のための公共財機械装置の性能のよさに対するプライド、という意味での国家プライドはあるかもしれない。

国家が愛国心などというフェテシズムを万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。ただし、この国家プライドを新しく「愛国心」と名づけることも可能である。