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鉄道 週刊現代
日本の政治経済最大の事件「国鉄・民営化」暗闘の20年を追う
経営、労組、そして政治……

荒れるきっかけを作ったのは…

―昭和62(1987)年3月31日をもって分割・民営化され、JRに生まれ変わった「日本国有鉄道」。『昭和解体』は、その解体に至るまでの20年間に、国鉄経営陣や労働組合、政治家や財界人が水面下で繰り広げた「暗闘」を克明に描いています。

私は、国鉄の分割・民営化は戦後の日本における最大の「政治経済事件」だと考えています。ピーク時に60万もの人員を抱えた企業体は、日本においては国鉄しかありませんし、それほどの巨大組織が解体されたことで、社会は大きく変わった。

では、この「事件」はいかにして起こったのか。これまで、当事者たちがそれぞれの立場から発言した記録は残っていますが、俯瞰して全体像を示すものがなかった。そこで本書では、国鉄経営陣や労組関係者、政治家の証言や未公開の資料をもとに、客観的な史実を示そうと考えたんです。

 

―国鉄解体に向けての起点は昭和42年だと分析されています。

その年に国鉄は累積赤字に陥り「公共企業体としては最悪の状態」と言われました。赤字解消のため、国鉄当局は「5万人の合理化計画」を発表。従来、国鉄の機関車は「機関士」と「機関助士」のふたりが乗務していましたが、これを機関士のみの「ひとり乗務」に切り替えようとしたんです。

これに対して国鉄動力車労働組合(動労)や国鉄労働組合(国労)が猛反発し、ストライキに突入。彼らはスト解除の見返りに「ひとり乗務」の先送りと、後に禍根を残す「現場協議制度の確立」を勝ち取りました。

―現場協議制度とは、「駅単位」や「保線区単位」といった末端レベルで、労働条件に関する協定を結ぶ制度でした。

導入以降、全国の国鉄で駅長などの「管理者」を組合員がつるし上げる光景が繰り広げられるようになりました。組合員らは駅長のネクタイを引っ張ったり、腹を小突いたりしながら「この作業には手当をつけろ」とか「ヤミの出張手当を認めよ」などの要求をした。

これを管理者が受け入れてしまったため、職場環境は荒れ、様々な手当が乱発された。国鉄当局の「管理権」が失われる事態となったのです。

―そうした状況を改善すべく、国鉄当局は「生産性向上運動」(通称・マル生)を導入します。

マル生とは、全国の現場管理者を集め「労使協調して生産性を向上させる」ための研修を行うというものです。しかし実態は職員の「労組脱退」を促す内容でした。

当初、マル生の効果は絶大で、国労・動労合わせて1ヵ月平均3000~5000人もの脱退者が続出しました。慌てた労組はマスコミに窮状を訴えることで反撃し、新聞各紙に「国鉄当局は昇給をエサに労組を切り崩している」などの批判記事が出た。

さらに水戸管理局の能力開発課長が「知恵を絞って不当労働行為(労働者の団結権を侵害する行為)をやれ」と発言したことが明るみに出て、国民の批判を招く事態となりました。