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日本史
江戸幕府はなぜ「鎖国」したのか 〜現代日本人が見過ごしがちな真実
それはひとつの宗教戦争だった

諸悪の根源は「鎖国」にアリ!?

「鎖国」という言葉が日本史の教科書から消えるかもしれない、というニュースがあった。新学習指導要領で、聖徳太子と鎖国などの歴史用語を「厩戸王」「幕府の対外政策」とする改訂案が出されて、少し話題になっていた。

ただ、3月末に出た文部科学大臣の告示によれば、聖徳太子も鎖国も、とりあえず消えないように決まったようだ。

たしかに、「幕府の対外政策」という言葉では何だか弱々しい。当時の徳川政府が維持した政策はかなりの力わざだったとおもうのだけれど、そういうニュアンスが落ちている。より正確に記そうとして、いまどきらしい決断しない姿勢が出てしまっている。

あらためて、「鎖国」という言葉は、実際に国が鎖ざされていた時代ではなく、鎖国のあと、開国してから意味を持っていた言葉なのだな、とおもいいたる。

哲学者・和辻哲郎はその著書『鎖国—日本の悲劇—』のなかで、鎖国政策を批判して、17世紀初頭の日本について、このように記している。

「侵略の意図など恐れずに、ヨーロッパ文明を全面的に受け入れればよかったのである。(…)まださほどひどく後れていなかった当時としては、近世の世界の仲間入りは困難ではなかったのである。それをなし得なかったのは、スペイン人ほどの冒険的精神がなかったゆえであろう。そうしてその欠如は視界の狭小にもとづくであろう」

和辻は、とても悔しがっている。

これが書かれたのは昭和25年(1950年)、日本は世界戦争に大敗北して5年、まだ占領下にあった。明治22年生まれの和辻は当時、61歳である。

鎖国したことによって、16世紀の日本は世界のトップレベルから落ちていった、あのときに道を間違えなければ、かくのごときみじめな敗戦国に至ることはなかったのではないか。

そう悔しがっているのだ。

第二次世界大戦における敗北は、そして日本史上初めて他国によって全土が支配されるという惨状は、秀吉・家康ラインから始まった「鎖国」に原因がある、と憤っているのだ。

鎖国さえしていなければ。当時の為政者にもっと広い視野さえあれば。日本史にもう一度やり直しがきくならば。人生が二度あれば。

高名なる知識人が、本気で悔しがっている。

敗戦後の昭和日本では、鎖国がとても憎まれていた。

「鎖国」という言葉は、そういう歴史用語である。

徳川時代の歴史を表した言葉ではあるが、その言葉が意味を持って使われていたのは、開国されたあとなのだ。明治、大正、昭和の時代の言葉である。

「西洋列強と争わなければいけないときに、出遅れてしまった原因」として「鎖国」という否定的な言葉が使われた。

 

明治政府によるネガティブ・キャンペーン

明治政権は、異様なほどに前政権の施政を否定的に喧伝していた。

徳川政権のやっていたことはすべて前近代的で、封建的で、まったくダメなもので、それを明治政権がきちんと近代化した、という物語を広めていた。

昭和の後半になっても、みんなそれを信じていた。徳川時代もそんなに悪くなかったのではないか、と言われ出すのは、それこそ平成に入ってからである。

鎖国は、そういう明治政府による前政権の否定の一材料として、しきりに使われていた。