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ハワイ土産に8ミリフィルム!? あの頃、映画とは何だったか
僕と映画の70年史【後編】
映画が500円でネット注文できる今と、下北沢だけで4軒の映画館があった昔。映画の今昔について綴った前編(gendai.ismedia.jp/articles/-/51420)に続き、後編はユニークな映画館の記憶や、印象に残る映画の一場面についてです。

映画とは光である

映画の科学的なからくりについては、子供の頃からよく知っていたような気がする。

完成された映画とは、撮影されたフィルムが編集という意図によって取捨選択され、つなぎ合わされたものとしての、一本のフィルムだ。そのフィルム上の像が光によってスクリーンに投影されるのだから、映画とは光である、とも言える。

このことを視覚的に確認することが出来たのは、煙草の煙だった。

僕が子供だった頃の日本では、上映中の喫煙は客の自由だった。前のほうの席にすわっている人が煙草をつけると、吐き出す煙が暗い空間を立ちのぼり、漂った。その煙のなかを、スクリーンへと向かう映写機の光が通過していった。

暗いなかに煙草の煙が見えると同時に、スクリーンに届く寸前の映画でもある光もまた、見えたのだ。

映写中に一度は振り返ってうしろを見た。いちばん後ろの壁のなかは映写室であり、そこにある映写機からスクリーンに向けて光を放つための小窓がいくつか、映写室の壁にあいていた。

 

撮影されたフィルムが編集という意図によってつないであるだけのものが、映画だ。だから、映画は編集だ、という言いかたも成立した。

吠えながら突進してくるライオンに緊張して身構えるターザンは、ライオンとターザンを別々に撮って巧みにつないだだけであり、本来はおたがいになんの関係もない。密林はセットだ。ターザンが官能的に泳ぎ、鰐と格闘する池はガラスの水槽で、鰐は精巧なゴム製だ。

映画は撮影されているときがもっとも楽しくスリルに満ちている。だから完成して映画館で上映される段階にまで到達した映画は、もはや脱け殻のようなものだ、とかつて書いたことがある。

撮影されているときとは、わかりやすいひと言を使うなら、メイキングのことだ。「カサブランカ」は伝説的な映画として語られることが多いが、作品としての出来ばえは感心しない。しかし、この映画がどのように作られたか、という話をまとめた本は、何度読んでも素晴らしく面白い。

映画はフィルムだ、という事実を実感することの出来る機会は、身辺にたくさんあった。そのうちのひとつは、フィルム運びの青年を目の前に見るときだった。オデヲン座の前でしばしば見た。

いまで言うレーサー・タイプの、ハンドルの低い細身の自転車の荷台に、映画フィルムの入った金属製の丸い缶をいくつか、黒いチューブでくくりつけ、出発前のひととき、サドルにまたがって彼は煙草を喫っていた。その煙草を足もとに落とし、肩ごしにうしろを見てから、おもむろに発進していた。リーゼントに革ジャンパー、そしてジーンズに革のブーツの彼は、たちまち走り去った。

おなじ映画を上映していた映画館はあちこちにあり、そのフィルムは何軒かの映画館が使い回していた。下北沢からだと、もっとも近くて三軒茶屋だったか。近すぎてひと走りのうちにも入らなかったのではないか。渋谷までなら、ひと走り、と言っていい距離だった。