Photo by iStock
野球

野村克也「攻略法がなかった…」伝説の打者・榎本喜八が極めた道

神の領域に到達した男

「野球の神様という言葉は、榎本のほうがふさわしい」。生前、川上哲治からそう評された男は引退後、野球界に一度も戻らなかったからこそ、伝説になった。

榎本喜八(えのもと・きはち)
36年、東京都生まれ。早実に入学直後からプロ入りを熱望。高校の先輩で毎日オリオンズにいた荒川博氏に頼み込み、「3年間、登校前に500回素振りをすれば世話してやる」と言われ、本当にやりとげた

遠征先で座禅

山崎裕之 榎本さんは亡くなって数年経った昨年1月に野球殿堂入りを果たされましたが、「安打製造機」とも呼ばれて通算2314安打。実績を考えればもっと早くても良かったですよね。

やまざき・ひろゆき 46年、埼玉県生まれ。'65年に東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に内野手として入団。現役通算20年で通算2081安打を放つ

野村克也 そうだね。私もキャッチャーとしてプロで27年間やらせてもらったけど、榎本だけは攻略法が見つからなかった。天下の王貞治だって攻め方はあったからね。

のむら・かつや '35年、京都府生まれ。'54年に南海に入団し、45歳まで現役を続けた。'89年に野球殿堂入り。南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任

榎本喜栄 殿堂入りに際して、張本勲さんとお話しさせてもらいましたが、「とにかくすごかった。榎本さんの打撃練習を後ろから見て勉強させてもらった」とほめていただき、改めて父のすごさを実感しました。

えのもと・よしひで 65年、東京都生まれ。小学生では野球をやっていたが、中学からバスケットに打ちこむ。現在は情報サービス会社の営業部長をつとめる

野村 あれだけの集中力とバットコントロールができる人はそうそういない。無の境地ってあのことを言うんだろうな。

山崎 私は7年間、同じチームでプレーさせてもらいましたが、遠征先の旅館の広間で食事をみんなでとった後、一人で座禅を組んでいらっしゃいました。

野村 あれは日米野球で一緒になったときだったと思うけど、榎本が試合前の練習からベンチの片隅に座ったきり、微動だにしないことがあった。でも誰も声を掛けられる雰囲気じゃない。監督も試合に榎本を使えない。結局、試合が終わっても動かないままだった。いつ帰ったんだろうな。

榎本 家でも和室に一人で入って、精神修行のようなこともしていました。

野村 私が対戦した打者としては、王より頭を悩まされたのに、引退後に監督やコーチをすることはなかった。真面目すぎたのかもしれないね。

山崎 喜栄さんは子供のころ、球場に応援しに来たりはしたの。

榎本 はい。父が引退したのは私が小学校の低学年なので現役の晩年のころですが、荒川区にあったオリオンズの本拠地の東京スタジアムには何度も連れていってもらいました。非常にきれいなフォームから放たれる弾丸ライナーが、いつもライトのほうに飛んでいっていたのを記憶しています。