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週刊現代

人生に響き続ける青春時代の読書~宮川俊二「人生最高の10冊」

今も鮮明に記憶に残る文章の数々

学生時代に出会った一文が心を決める

作品の良し悪しよりも、その本との出会いが自分の人生にどんな意味を持っていたか。そんな観点から選んだ10冊は感受性の強い青春時代に読んだものが中心です。

なんといっても三島由紀夫の『午後の曳航』。高校3年のころに読み、衝撃を受けた作品です。読後、目の前に新しい世界が際限なく広がりました。

作中の主人公同様、私も小さな穴から大人や性の世界を覗き見したわけで、とても象徴的です。

当時はエッチな雑誌すらあまりない時代でしたから、『午後の曳航』を性的な関心から読んでいた人が多かったんです。だから、学校の図書館にあった『午後の曳航』の貸し出し帳に、当時私が好きだった校内一の美女の名前があったと聞かされたときは、ちょっと興奮しました(笑)。

同じ高校時代に、今の仕事につながる出来事が起こります。NHKの放送コンテストに番組を作って応募したところ、全国4位の成績になりました。愛媛の田舎の子だったもんで、「放送を仕事にすれば食べていけるかも」と甘く考えました。

 

進学先には早稲田大学文学部を選びました。社会学科にマスコミ論という授業があり、それをとれば放送局に入りやすいという周りの大人から聞いた話を素直に信じたんですね。英国社と受験科目が3つだったのも、ほとんど勉強していなかったので都合がよかった。

読書量も少なかったもんですから、入学すると大変でした。当時、大学は学生運動でロックアウトされ、同級生は喧々諤々の議論を戦わせている猛者ばかり。サークルの放送研究会に顔を出せば、在籍者は数百人いて、皆、意識が高い。「自分はなんて軽い気持ちで進路を選んだんだろう」と、すごく挫折感を味わいました。

そんなときに出会ったのが安部公房の『終りし道の標べに』。以下の一文に感銘を受けました。

「終った所から始めた旅に、終りはない」。

今でもよく覚えていますが、この本を読んだのは18歳の秋、11月23日、志賀高原にいた兄を訪ねていたときです。そうか、終わっているような自分だけれど、この場所から始めていくしかないんだと、納得できました。

雪が降っていた日で、何かの儀式のように雪の上を転げ回り、これからは文学部らしく本を読み、学ぼうと心に決めました。

以降、読書が習慣になります。吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』などたくさん本を読み、同級生との議論にも参加できるほどにコンプレックスを克服できました。

本の中の文章が、その後の自分の人生に、ずっと響き続ける。そんな経験は他にもあります。

書物を通して今も人生を振り返る

同じく大学時代に読んだ、柴田翔の『されど われらが日々――』です。ストーリーよりも次の文章を今も鮮明に記憶しています。

「生が結局は、各種の時間潰しの堆積であるならば、その合間に、ちょっと夢中になれる、あるいは夢中になった振りのできる気晴らしのあることは悪いことではない」という冒頭の一節。常に私の基本的な考え方を表していたように思います。卒業後、NHKに入局してからもずっとこの言葉通りの日々でした。

山形放送局に赴任していたころ、副業でジャズバーを経営していましたし、他にも岐阜放送局時代にはタウン誌の編集をしたり、知り合った写真家の影響でカメラにのめり込んだり。周りからみれば、脇道で、くだらない「時間潰し」だったかもしれません。それでも、仕事一本ではなく、何か他にも夢中になれることを、常に見つけていたような気がします。

人生の最期に、いろいろなことに打ち込んだ、モザイクみたいな生き方を振り返って、「こういう図柄だったんだな」と何かの絵が見えたら、それでいいんじゃないかなと。