格闘技
誰も語らなかった、新生UWF消滅前夜と「その後」の真実
証言・「新生・1988年のUWF」後篇
細田 昌志 プロフィール

さらばUWF

──近隣の住民も大喜びでみんながハッピーですよ。

川﨑 その後、顧問の先生と、神社長と鈴木専務の間で、この水を販売することに決めたんです。神様の水だから「御神水」と名付けて。湧き出る水を製品化するための機械を導入し、ペットボトルを大量に発注して、倉庫を借りて……莫大な経費をかけたんです。それでペットボトル1本1500円。売れるわけがない!

──ギャハハハ!

川﨑 それでも水は出続ける。商品を作り続ける。ペットボトルは増え続ける。水は売れない。倉庫の中が一杯になる。新しい倉庫を借りる。「とにかく水を売れ売れ」とまた社命(笑)。

──悪循環だ! なんか新生UWFのときとは別の意味でハードですねえ(笑)。

川﨑 それで、団地とかマンションの郵便受けに差し込むリーフレットを作って、近所に配ったり、懇意にしていたライターさんが『週刊プレイボーイ』に記事を書いてくれたりもしましたよ(笑)。それでもまったく水は売れない。

──まあ、そうでしょう。1500円だもんなあ。

川﨑 今にして思うと1本200円だったら売れたと思うし、大成功していたように思います。なぜなら水自体は本当にいいと思ったからです。しかし、いくらいいとは言っても、水は水。水道をひねればタダで出てくる。それなのに1本1500円はないなあ(笑)。

──選手が「リングス」「Uインター」「藤原組」と3派に分かれて興行をやっていたときに、まさかかつての社員が総出で、水を掘って売っていたとは(笑)。

川﨑 結局、水は大量に売れ残りました。最終的には配ったんじゃなかったかな。倉庫も手放したし。それでまた勉強会やらなんやらやるんですけど、僕はほとほと疲れました。

──そうなりますよねえ。

川﨑 朝の勉強会とか社員だけでやるんですけど、仕方なく出席する社員を尻目に、僕は絶対に出席しなかった。そしたら鈴木専務が「お前なんで出ないんだ」と怒るんです。でも「僕は信じてないんで出ません」とはっきり抗弁しました。これには「あなたみたいな優秀な人が、なんでこんなことになってしまうんだ」という怒りと悲しさと悔しさがありました。それで僕は会社を辞めたんです。91年冬のことでしたね。

 

──そこから川﨑さんは藤原組にフロントとして入られますよね。誘われたんですか?

川﨑 僕が辞めたという情報が3派に出回ったようで、真っ先に連絡をくれたのはUインターを切り盛りしていた鈴木健さんでした。「部長待遇で迎えるから来てよ」ということで。そのあとすぐ高田さん御本人からもお電話いただきました。高田さんはそういうところはマメな方なんです。

──後の二派からも?

川﨑 はい。リングスのスポンサーをされていた「すき家」を経営されていたゼンショーの常務さんからもご連絡をいただき「リングスで仕事しないか」と誘われました。ゼンショーの常務からは、本当に可愛がっていただいていたので感謝の気持ちで一杯でした。藤原組からは、レフェリーの(ミスター)空中さんから御連絡をいただきましたね。

──3派からほぼ同時に誘われたんですね!

川﨑 新生UWFの社員は6名くらいの少数精鋭でした。それが割れることになるんだから、確実に人手は足らなかったはずです。それで悩んだ末に藤原組を選びました。

──それはどうしてだったんですか?

川﨑 理由は簡単。船木さんがいたから。「21世紀のスターは船木さんしかいない」と思っていたので、そこに団体の未来を見たんですよ。昔、新生UWFのときに憂歌団の事務所の方と飲んでいて、「君らなあ、前田日明がおらんようになったら、どないすんねん」と言われたんです。言葉に詰まりましたね。つまりその人は「スター1人がいなくなったら会社は持たんぞ」と暗にほのめかして言われていたんでしょうね。

──確かにそれはそうですね。

川﨑 「未来あるスターを用意しておけば会社は安泰だ」と言いたかったんでしょう。その記憶があったので、藤原さんという看板とは別に、エースとして船木さんがいる藤原組に未来を見たんですよ。結局その後、船木さんは藤原組から離れるんですが……

──ちなみに、神社長はその後どうなったんでしょう?

川﨑 しばらくスペースプレゼンツを続けられるんですが、鈴木専務とも離れてそれぞれが別の会社を興すことになります。神さんは今もセミナーとかおやりになっているみたいです。それぞれが信じた道を歩んでいるといったところでしょうか。

──その後、神社長とはお会いになりましたか?

川﨑 会っています。2002年に高田さんの引退試合(田村潔司戦)をPRIDEでやったときに「川﨑、チケットない?」と久しぶりに連絡をいただきました。当日久しぶりに再会すると「パスないの?」と言うんですよ。「パスは今、厳しくてお出しできません」と言って、前の方の席をお渡ししました。神さんもあの試合は気になったんでしょうね。

──最後に会ったのはいつですか?

川﨑 田村君の結婚式です。彼は神さんを結婚式に招待しているんです。田村君にとっては高校を卒業して、初めて社会に出て仕えた人が神さんですから、今も特別な存在なんでしょうね。

──田村選手の結婚式ですから当然、前田さんや高田さんも列席していたのではないですか。つまり二人も神さんと再会したってことですか?

川﨑 それが、お二方とも確かいらっしゃらなかったように思います。あの結婚式が2007年なんでもう10年ですね。それ以降は僕もお会いしていません。

──しかし、濃厚な話を聞きました。川﨑さんは藤原組を離れてリングス、さらに独立されて、個人ブッカーとしてPRIDEやK-1に携わることになるんですが。

川﨑 PRIDE時代、大晦日格闘技の時代も考えられないような高額なファイトマネーが飛び交って、濃厚な時代でした。でも新生UWFの場合は業界に入って初めての体験でしたから、特別な記憶としてずーっと残っていますね。『1984年のUWF』の読者に言いたいのは、「1988年の新生UWF」も、それはそれで凄まじい時代だった。語り継ぐべき物語もあった。そのことは知っておいてほしいです。

(了)