格闘技
誰も語らなかった、新生UWF消滅前夜と「その後」の真実
証言・「新生・1988年のUWF」後篇
細田 昌志 プロフィール

船木VSレナードの現実味

──確かにすぐ感情を出すような人なら、不信感を持った時点ですぐぶつかっていますね。前田さん自身「旗揚げ直後からおかしいと思っていた」って現在は証言しています。でも言ってなかったことになりますね。

川﨑 そうだろうと僕は想像しています。しかしその電話も功を奏すことはなかった。そのうち週プロにも報じられるようになって、UWFの内紛は一大スキャンダルに発展します。この頃になると株云々の問題というよりそれぞれの肌感覚が違ってきていたという気がしますね。つまり生理的な問題ですよ。

──それはもう難しい。

川﨑 さらに神さんは自分から周囲の人とも距離を置くようになるんです。例えば当時UWFにアドバイスして下さる方の中に、シンサックさんの奥さんの高岡左千子さんもいらっしゃいまして。

──僕もよく知っている方ではあります。

川﨑 高岡さんは神さんや鈴木さんの相談に乗って、運命学から日程をアドバイスしていたり、姓名判断で改名を勧めたりしていました。ただそれは求められてそうしていただけで、無償でやっていたし、何かを要求することはなかったと伺っています。それで神さんも名前を「神新二」に改名したり「船木誠勝」「鈴木みのる」「田村潔司」「宮戸優光」すべてそう。パンクラスの社長をやっていた「尾﨑允実」さんも。ちなみに私の「川﨑浩市」もそう(苦笑)。

──そういえば最近も、ある元人気キックボクサーが役者デビューするにあたって、高岡さんが芸名を付けたようです。

川﨑 あるとき、その高岡さんが、占いとかは関係なく、神さんの私生活について注意されたことがあったそうです。そのことをきっかけに神さんは徐々に高岡さんと距離を置き始めます。それが直接の原因かどうかはわからないんですけど、神さんは別の方の紹介で、なにか宗教的なものに傾倒していくんですよ。

それで前田さんとの対立が起きている間、神さんと専務の鈴木さんは毎日その関係の本を、事務所の中で読まれていて、それに傾倒していってましたね。それもあって、人がどんどん離れていく感じがありました。そんな頃に起きたのが「松本バンザイ事件」です。

(※経営陣より「5か月間の出場停止処分」を下された前田日明を抜きにして開催された「UWF松本大会」(90年12月1日・松本市運動公園体育館)。その際、船木誠勝、宮戸優光を中心とする若手グループが、全試合終了後に前田日明をリングに呼び寄せようと画策。全選手によるバンザイ三唱とともに、経営陣との決別を示した記念碑的な事件)

──怒涛のような出来事の数々ですね。

 

川﨑 あの事件について『1984年のUWF』では神さんが「業界からきっぱりと身をひいた」みたいに書かれていますが、一応理由があるんです。その伝道師のような立場の先生が「スポーツ興行はこの先はやらないほうがいい」とアドバイスしたからなんですね。なぜそれを僕が知っているかというと、僕もこのときは神さんや鈴木さんと行動を共にしたからなんです。

──えー! じゃあ川﨑さんも選手と離れて、その流れに乗ったんですか?

川﨑 いえいえ、自分はそれにははまっていません。社員の中にはこれを機に業界から足を洗った人もいます。それでも僕が神さん側に付いて行ったのは専務の鈴木さんの影響です。鈴木専務って本当にスーパーマンみたいな方でしたから。すべて理に叶っているし、仕事はできるし、優しさもあった。本当に尊敬していました。「この人に付いていけば俺も一端の人間にはなれるかな」と思えるような存在でした。その鈴木専務が神さんに付いていくというなら、迷わず自分も神さんに付いていこうと決めたわけです。

──では、その後の選手の分裂劇には一切タッチしていないんですね。

川﨑 まったく把握していません。だからなんで3派に割れたんだろうと不思議でしたね。だって分裂するというのは、例のWOWOWの放映料を放棄するということですから。

──ちなみに、この年の年末に東京ドームで「船木誠勝対シュガーレイ・レナード」 の格闘技戦が決定していたという話が出てきますが。

川﨑 あれは嘘です。佐々木徹さんが書かれていた『週刊プレイボーイ』の記事にそのくだりが出てきますが(※90年12月29日にUWFが2度目の東京ドーム大会の開催を計画。そのメインイベントに新エースの船木誠勝と、プロボクシング世界5階級制覇のシュガー・レイ・レナードの格闘技戦が内定。UWF解散後にレナード陣営から対戦を了承するFAXが届く箇所を指す)、実際にはあの件は断られています。

確か電通に投げていたんですが、松本大会の数日後に、電通から断りの電話が入ったのを僕が神社長に取り次ぎました。だからあの本に書いてあることは正しくないんです。

水とUWF

──裏側が次々と詳らかになっていきますね。では、ここからはほとんど知られていない話になります。選手と離れた神さん、鈴木さん、川﨑さんら「UWF背広組」はその後どうなるんでしょう?

川﨑 まず「株式会社スペースプレゼンツ」と社名を変えました。やることは違うんだから社名を変えようという判断ですね。主な業務は「プロレスとは違った他のイベントを主催する」というのが第一の目的……のはずでしたが、実際は勉強会をやったり、その本の出版と販売を行ったりしていました。出版コードを取る業務などを僕はしましたね。当然それだけでは収益は出ません。そこで、旅行代理店を起業していた方と一緒に、旅行関係の仕事をすることになったのでした。

──それは一体どういういきさつで?

川﨑 新生UWFの時代に地方ツアーをやっていたのを憶えていますか? 徳島とか名古屋とか長野とか。あと富士急ハイランドでファンの集いをやったり。

──「密航ツアー」ですね。週プロに小さい記事が載っていたような気がしています。

川﨑 それはロータリー・エアサービスという旅行代理店とのタイアップだったんです。その担当者の人が独立して新たに会社を興すことになったんで「一緒に組もう」ということになったんですね。僕は「何か話が違うなあ」と思いながらツアコンやってました。「日光バスツアー」とか(笑)。あとグアムとサイパンも行ったりして。

──全然違う仕事じゃないですか(笑)。 コンサートやイベントは開催しなかったんですか?

川﨑 それが一度だけ。日本のミュージシャン何組かまとめて、海外でツアーでやるという一風変わったイベントをやりました。もともと近畿日本ツーリストが企画したもので、ウチはその下請けみたいな感じ。飛行機を飛ばして日本のファンも一緒に海外に連れて行くんです。期間は1週間。その間ずっとニューヨーク周辺でライブ。客はほとんど日本人ばかりという。

──早い話、お客さんも引きつれてのライブツアーということですね(笑)。

川﨑 その通りです。バブルの名残のあったあの時代、その手の企画はわりとあったんです。ちなみにメンバーは、元チューリップの安部俊幸さんが率いたオールウェイズとか、新人だった電気グル―ヴとか、あと2、3組いましたかね。とにかくその一度だけでした。ちなみに4機飛ばす予定だった飛行機は1機に縮小になりました。

──あとはツアコンとセミナー。

川﨑 ですね(苦笑)。しかし、ある日とんでもない出来事が起きまして。

──なんですか?

川﨑 その頃、会社の顧問をおやりになっていた先生がいらっしゃいまして。その先生のお知り合いの方から、「福島に神のお告げで水を掘り当てたこけし工芸屋さんがいる」って話が舞い込んだんです。

──ほうほう。

川﨑 「じゃあ、朝一番で車で福島まで行って、水を汲んで、バンの後ろ一杯にポリタンクに積んで夜戻ろう」というスケジュールを立てたんです。ちなみに、そのときはリング屋さんのトラックにも頼もうということになり。

──しかし、それを川﨑さんは信じてたんですか?

 

川﨑 信じる信じない以前に、これは社命ですから。そこで現地視察をすることになったんです。こけし工芸屋さんの奥さんが「夢で見た」と言う箇所を掘ったんですけど、水は出なかった。土地の水道局に聞いても「この辺に水源があるわけがない」とまったく相手にされなくて。

──それはそうでしょう。

川﨑 でもこけし工芸屋さんの奥さんは「絶対水は出る」と言うんです。それでこけし工芸屋さんの敷地の別の場所を掘ったら、水脈なんて無いって言われていた所から「ぴゅー!」っと水が噴き出て!

──マジですか!?

川﨑 大マジですよ! それで町中が大騒ぎになりました。「水源なんかあるわけない」って水道局が言ってたのに、水源があったわけですから。

──本当に神がかってますよね!

川﨑 で、その水を近隣の住民の人に無料で配ったところ「病気が治った」とか「健康にいい」とか評判になって、地元のTV局が取材に来たりもしていたんです。それで社員全員で水を汲みに行きましたよ。

──本当の話ですか!?それは商売文句としてってことではなく?

川﨑 本当です。評判になって「もっとくれ、もっとくれ」と。周辺の評判を聞きつけた人々が集まってきましたから。「これは凄いことが起きた」と思いましたね。

──「これをやるために、UWFは解散することになったのか」くらいな勢いですね!

川﨑 本当にそんな感じでしたよ。それくらいのインパクトがありました。ただ、問題はここからなんです。「本当に水は出た。素晴らしい」で終わっていればよかったんですが。