格闘技

証言・「1988年の新生UWF」(前篇)

細田 昌志 プロフィール

前田と神社長が一緒に車を押して……

──素晴らしい!そのとき並んでいたファンは、今も忘れていないと思いますね。そんな大人気のUWFですが『1984年のUWF』に次のような記述があります。「大阪球場の観客数は2万3000人と超満員を記録。だが実際には、大阪周辺のナショナル(現・パナソニック)の販売店を通じて数千枚の招待券がばらまかれていた」事実そうだったんでしょうか?

川﨑 確かにあの本に書かれているように、松下電器のお店にチケットを配ったのは本当です。「UWF四国後援会」の会長である徳島のフクタレコードの福田典彦さんの、学生時代の先輩の方が松下電器にいらっしゃいまして、その方を通じて依頼したんです。

──あの日の大阪球場は僕も観戦していたのでわかりますけど超満員でした。それが実際はそうではなかったのはショックなんですけど。

川﨑 ですが、「人気に陰りが出た」というのは違います。なぜなら当時のUWFの大阪地区というのは、大阪府立体育会館を超満員6500人が動員の限界。さっきも言いましたように6千枚のチケットなら営業活動をしなくても札止めになったんです。しかし大阪球場は2万3千人。約3倍のキャパなわけです。

──確かに。

川﨑 つまり、「人気に陰り」というより「実際の人気以上に見せるために苦労した」とするのが正しいわけです。それに大阪球場とか大きいハコで興行を打つのは、赤字になったとしても決して無駄ではない。むしろ長い目で見れば黒字興行ですよ。なぜなら、大会を行うことによって、新たなスポンサーさんや企業さんが付いてくれたからです。「ゴールデンウィークに大阪球場を満杯にした」という評判が影響力となって大きく作用したんですよ。それに1万円近いビデオが数千本も売れていますから。

──っていうことは、川﨑さんも本の中で証言している東京ドーム大会も……。

川﨑 あれは大成功ですよ。確かに僕は「パンフレットの売れ残りはあった」と証言しました。ですが、それは単純に作り過ぎただけです。それに、あれはメガネスーパーさんがスポンサードしている大会なんで、大赤字かというとそうでもない。TBSで特番もやりましたから放映料も入ってます。ビデオもかなり売れました。グッズの売れ行きなんか数千万円です。さらに「東京ドームに進出して大成功を収めた」という評判は大きくて、日本衛星放送(現在のWOWOW)の契約が決まるんです。

──なるほど、となると「U-COSMOS」(東京ドーム大会)は大成功だったことになるんですね。

川﨑 もちろん実数は大切ですよ。しかしそれがすべてということでもなくて、興行というのはその後どう続いていくか、どういう影響を及ぼすかということも重要なわけです。それに実数だけでも、その後も大入りの会場はいくつもありました。

例えば90年6月の大阪大会(90年6月21日・大阪府立体育館)なんかまたもや札止め。このとき、売るチケットが足りなくて、売ってはいけない立見席まで売っています。当日券を目当てに来られるお客さんもいるので、会場に怒られるのを覚悟で売りました。ぎっしりでした。

──となると、ひとつお聞きしたいのが『1984年のUWF』の中で、佐山聡さんが新生UWFについて「UWFから連絡があった。佐山さんに戻ってきてほしい。また一緒にやりましょうと言われた。だけど、俺は絶対にやらないから」とジムの会員さんに宣言するくだりが出てきます。当時スーパータイガージムの会員だった坂本一弘さん(現修斗ジム東京代表)の証言が論拠です。つまり「人気に陰りが見えていた新生UWFが、テコ入れのために、佐山聡に復帰を促した」と解釈できるんですけど。

川﨑 その件ですが、僕は佐山先生の移籍はなかったと思います。ただ、坂本さんがあえて柳澤健さんに嘘を言うとはまったく思わない。嘘をつく必要がないからです。とすると、佐山先生は本当にそう言ったのかもしれない。ただ、佐山先生が嘘をつく必然性もないんですよね。だから、謎といえば謎なんですが……。

──確かに。

川﨑 ただ、ひとついえることは、89年の春に、藤原(喜明)さんと船木(誠勝・当時は優治)さん、鈴木(みのる・当時は実)さんが新日本から移籍しましたね。そのことについては、僕のような末端の営業部員でも事前に耳にしていました。でも佐山先生の移籍について耳にしたことは、まったくありませんでした。

──ははあ。

川﨑 船木さんと接触するために、前年の11月下旬頃、前田さんと神さんがドイツに飛んでいます。僕が成田まで送迎する担当だったのでよく憶えています。ちなみに高速の途中で車がオーバーヒートしてしまって「飛行機の時刻に合わなかったら船木に会えない!」と前田さんと神さんが一緒に車を押したりもして(笑)。

──すげえなあ、UWF(笑)。

 

川﨑 それでも動かなくて、たまたま高速を通りがかったタクシーを拾って、間一髪成田空港に間に合ったという奇跡的なエピソードもあります。僕はその後JAFを呼んで大変でしたけど(笑)。

──間一髪ばっかりの会社ですね(笑)。

川﨑 繰り返しになりますが、社長の神さんも専務の鈴木さんも「今までにない新しいイメージの団体」を創ろうとしていました。そこでわざわざ、第一次UWFの象徴ともいえる佐山先生を持ってこようとはしないんじゃないかなあ……。藤原さんが移籍してくるというのとは話が違いますから。

──確かに藤原さんは参謀役というイメージがピッタリですからね。

川﨑 ですから佐山先生の件はまったく聞いていないです。でも別の選手なら、たまたま会社に来られているところを目撃はしました。その当時の現役の選手です。

──誰ですか!?

(明日公開の後篇に続く!)