格闘技

証言・「1988年の新生UWF」(前篇)

細田 昌志 プロフィール

なんと、あの二人も来ていた

──そんな裏話があったんですね。いやあ、面白い!

川﨑 「ポスターは全部はがす」というさっきの話もそうですけど、今までのプロレス団体にはない新しいイメージを創ろうとしていた、その姿勢が表れているようにも思います。ちなみに僕は、大仁田さんとはその後、東芝EMIがFMWのビデオ製作をする際に御一緒していまして、「あのときUWFの大阪で……」と打ち明けましたら、「そうなの!?」って笑っていらっしゃいましたね(苦笑)。

──あの時点では、大仁田さんがその後プロレス界で一時代を築いて、参議院議員にまでのぼりつめることは予想できなかったでしょうね。凄い話だ。

川﨑 実はあの日はもう一組、外客がいらっしゃっています。その後の格闘技界を動かす方です。

──まさか……。

川﨑 正道会館の石井和義館長と佐竹雅昭選手です。それは大仁田さんみたいに無理やりというのではありません。ちゃんと会社にコンタクトを取られています。神さんから「正道会館の石井さんという方がいらっしゃるので、お席まで御案内して」と事前に言われていましたから。それで受付に立っていたら「正道会館の石井です」と言うので、お二人をお席まで御案内しました。1階のひな壇の席でした。

──これは初耳です!

川﨑 僕も初めて明かします。もしかしたら館長は、この時点でUWFと何かやれないか模索していたのかもしれません。実際それ以降も、お互いにコンタクトを取っていました。石井館長から「タイの格闘技用品の輸入の権利を取りました」なんて連絡が来ていた記憶もあります。

──その後のUWF解散で一度は白紙になったってことなんでしょう。それはそうとUWFの社会現象的人気といいますか、影響力が垣間見えるような出来事の数々ですね。

川﨑 それはやっぱりファンの方の熱心な応援がすべてだったと思います。本当に感謝しています。例えば翌89年1月10日の武道館大会の前売り発売日が、確か11月末だったんですけど、このときもファンの方がプレイガイド前で徹夜で並んでるんですよ。

──有名な話ですよね。僕も大阪球場のときは徹夜して並びましたよ。

川﨑 11月末ですから相当寒いんですよ。当時渋谷にプロレスショップの「レッスル」ってお店があったでしょう。レッスルはビデオ会社のクエストが経営していたんですけど、クエストの社長から「こんなに寒いのにもう並んでるよ」「寝袋とか持ってるよ」と連絡が入ったんです。それを聞いた鈴木専務が「よし、じゃあ差し入れを持って各プレイガイドを回ろう!」と決断したんですよ。

──やるなあ、鈴木専務!

川﨑 こういうときの専務の決断は早いんです。「社員だけで回っても仕方がない。選手も連れて行こう」「前高山(前田日明・高田延彦・山崎一夫)の3人は絶対連れて行こう」ということになりまして。

──前高山!

 

川﨑 そのとき前田さんと山崎さんは御自宅にいらっしゃいました。お二人には車を出していただきました。前田さんなんてポルシェですよ!

問題は高田さんですよ。自宅にはいなかった。今みたいに携帯電話がない時代。どこかで飲んでいるに違いないということで、何軒かお店に電話してようやく捕まえたんです。そしたら高田さんはベロベロで(笑)。

──それは危ないなあ(笑)。

川﨑 有楽町のニッポン放送チケットセンター、後楽園ホール、レッスル渋谷店、レッスル池袋店……都内だけでもプレイガイドは結構あるんです。それを「前田&山崎班」と「高田班」の2組に分かれて回りました。僕は「前田&山崎班」です。まず「近くのコンビニで熱い缶コーヒーをあるだけ買い占める」「その缶コーヒーを持って並んでいる人の前に現れる」というのが流れ。それで計画通り、暗闇から前田さんと山崎さんの二人が姿を見せたんですけど、まあ、みんな信じられないような顔をするんですよ。

──それはそうですよ。だって深夜ですよね。

川﨑 1時とか2時とかそれくらいです。全員が「うわー!」「すげー!」と大興奮。それが各所で同じことが起こるんです。お二人とも喜んでましたねえ。

──当然、高田班でも同じことが起こったんでしょうね。

川﨑 面白いのが高田班ですよ。同行した先輩社員から聞いたんですけど、高田さんは泥酔で連れて来られてるわけじゃないですか。だからやたらハイテンションで、行く先々でファンと抱き合ったりとか、自分から大騒ぎしたらしいです(笑)。