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格闘技

証言・「1988年の新生UWF」(前篇)

「Sports Graphic Number」で連載時より話題を集めていた、ノンフィクション作家柳澤健氏の新作『1984年のUWF』が1月末の発売以降、順調に売り上げを伸ばしている。

「あまりにも前田日明史観が定説になりすぎていたUWFを、柳澤健氏が佐山聡史観で捉え直した一冊」(「GONGKAKUTOGI」吉田豪「新★書評の星座」)と高く評価される本書だが、当時UWFに関わった人物はこの本を読み、何を感じ、どう解釈したのか。

本書の中にも証言者として登場する株式会社UWFの営業部員で、その後外国人ブッカーとして、PRIDE、K-1などの格闘技ブームに貢献した「ブッカーK」こと川﨑浩市氏に、「1988年の新生UWF」という視点で話を聞いた。

川﨑浩市 かわさき・こういち 1964年10月4日、福岡県生まれ。大学卒業後、サラリーマンをへて、新生UWFに営業部員として入社。UWF崩壊後は、プロフェッショナルレスリング藤原組、リングスでスタッフとして活躍。その後、外国人ブッカーとして独立。PRIDEやK-1、シュートボクシングなどに外国人選手を招聘。現在は投資用不動産コンサルタントとして多忙な日々を送る

前田日明に声をかけられた瞬間

──ノンフィクション作家の柳澤健さんが書いた『1984年のUWF』が話題を集めています。「これまで前田日明視点で語られることの多かったUWF史に一石を投じた」という専らの評判です。

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そこで、新生UWFの営業部員としてまさにその渦中にいた川﨑浩市さんにお話をうかがいたいと思います。川﨑さんは本書の取材協力もされていますが、まず、本をお読みになった率直な感想はいかがでしょう。

川﨑 もちろん力作だと思いました。私は新生UWF以降しか知らないので、初めて知ったこともありました。ただ現場にいた人間としては、1988年以降の新生UWFについての記述が物足りないかな、という気持ちは否定できません。

──確かにそういう声もありますね。柳澤さん自身「UWFの本ではなくて1984年のUWFが生み出したものに関する本」と「ゴング格闘技」のインタビューではっきり断言しています。だから田村潔司が出ていなかったり、リングスKOKについてまったく書かれてないのはそういうことのようです。

川﨑 ただ、新生UWFの現場にいた人間としては、第一次UWFに限らず、新生の時代もとても濃密なものだったことは伝えたい。1年が10年に感じる、それくらい濃い日々だったんです。それに「UWFもプロレスだった」という一点に集約されがちなんですけど、入団した選手たち、入団しようとした若者たちは、本当に強くなろうとしていたのは間違いない。

確かにあの時点でやっていたことは今の総合格闘技とは違うものかもしれないけど、「誰よりも強くなることを強く願う者たちの団体だった」「それが後の格闘技ブームの下地になった」、この2点は無視できないと思うんです。

──なるほど。新生UWFがその後格闘技に与えた影響は大きいですよね。いくらUWFは佐山聡さんが創造したものであっても、「新生Uのあのムーブメントは別物」という主張とも多少リンクするかもしれません。今日はそのあたりのお話もお聞きしたいと思います。

ではまず、川﨑さんが新生UWFに入社するきっかけについて教えて下さい。

川﨑 私はもともと福岡出身で、大学時代にTV局でのアルバイトとコンサートやイベントの裏方スタッフのアルバイトをしていたんです。福岡国際センターで行われるイベントはすべて請け負っていて、おニャン子クラブのコンサートや甲斐バンドの解散コンサート、24時間テレビ……いろいろやりました。その中にプロレスの興行もありました。でも特別プロレスファンというわけではなかったです。

──そうなんですか。それは意外でした。

川﨑 ちなみにその頃、後輩の友達がバイトしていた親不孝通りのスナックに、よく顔を出していたんですが、そのスナックというのが、「プロレスラーが来る」って評判の店だったんですよ。でも「へえ」という程度で特に感動があったわけではない。それで、大学を卒業して、コピー機メーカーのゼロックスに就職しました。

──いきなりUWFに入ったわけではなかったんですね。

 

川﨑 そうです。ただ、サラリーマンの仕事は正直つまんなかった。「刺激がない毎日だなあ」って思いました。そこから半年程たったある日、たまたま、そのスナックに後輩たちと飲みに行ったら、UWFの専務と名乗る鈴木浩充さんという方がいまして「今度、博多スターレーンで興行をやるんですけど、ポスター貼りとか手伝ってもらえませんか」というわけです。

──なるほど、アルバイトを頼まれたんですね。

川﨑 いや、バイトじゃなくて完全なボランティアです。でも、普段刺激のない毎日を送っているわけでしょう。面白そうだなと思って二つ返事で引き受けました。深夜にこっそりポスターを貼ったり、居酒屋やディスコに貼らせてもらったり。

──まるで「ピースボート」みたいに(笑)。

川﨑 まさにああいうノリ。それで博多大会が終わった数日後に、鈴木専務から「ちょっと会えませんか」とお電話をいただいたんですよ。なんだろうと思って会ってみたら「川﨑さん、ウチで働きませんか」と。本来なら「考えさせて下さい」と言うべきところを、これまた二つ返事で「お願いします!」と。

──即答したわけですか。まさに運命の即答ですね。

川﨑 ただ、当時結婚を約束していた彼女がいて、それが今の家内なんですけど……家内も就職したばかりで、半年で退職させることは気がひけましたね。上京することが前提だったので。それに向こうの御両親は結婚に反対していて「地元での結婚は許さない」って言われていたんです。だから半ば駆け落ちみたいな感じになってしまい。

──おお、新生UWF入社が青春物語になったわけですね。つかこうへいが描きそうな展開ですねえ。 で、上京してまずはどこに連れて行かれたんですか?

川﨑 最初はもちろん会社です。現在、用賀の駅前で鈴木健さんが「市屋苑」って居酒屋をやっていらっしゃいますけど、当時のあそこは鈴木さんが経営されていた文房具屋さんの事務所で、実はその半分をUWFが間借りしていたんですよ。あの頃の鈴木健さんは高田延彦ファンクラブの会長でしたから。

──人に歴史ありですね! 鈴木健さんもその後「1億円トーナメント」で週プロの表紙になるなんて思いもしなかったでしょうね。

川﨑 で、会社の次は道場に連れて行かれました。そしたら、身体中がボロボロの若者の姿が眼に飛び込んできたんです。まさにボロ雑巾。当時練習生だった田村(潔司)君と海老名(保)君でしたね。「凄い練習をしてるんだなあ」と圧倒されました。

──海老名さんというのは、その後、故郷の秋田でローカルヒーローのパイオニアともいうべき「超神ネイガー」に変身。今も俳優として活躍するかたわら、ローカルヒーローの第一人者として企画、制作に携わっているあの海老名保さんですね!

川﨑 そうです、そうです。そうこうしたら前田(日明)さんが出て来て、僕の肩に手を置いて「チャンコ食べて行きなよ!」って声をかけてくださったんです。優しいんですよ、前田さんは。それで選手全員に挨拶をすませてUWF初日は終わりました。