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金融・投資・マーケット ライフ
株式市場に氾濫する、いかがわしい「物語」
その中毒性の餌食にならないために…

物語の中毒性

今月は、株の投資に失敗した話をしたい。

ある企業の株価が、これから大幅に上がるかもしれない――。筆者がそう思い始めたのは、同社の主要製造拠点の一つ、東南アジアの工場を訪問していた時だ。

当時株式投資の仕事に従事していた筆者は、同工場を定期的に訪れては、工場長に話を聞いていた。入り口で支給される安全ヘルメットをスーツ姿のまま頭にかぶり、革靴の上から除菌用の紙スリッパを履いた滑稽な出で立ちで、生産ラインが並ぶフロアに踏み入れるたびに、居心地の悪さに襲われる。

辺りを見渡せば、安全ヘルメットとごく自然に調和する、作業服と白いスニーカーに身を包んだ人ばかりである。彼らの仕事を、あくまで安全な距離から傍観し、恣意的な投資判断を一方的に下すという、いささか暴力的な筆者の訪問目的を、服装の違いは厚かましくも露呈させていた。

製造業と、それに資本を供給する金融産業の自然な接点とはいえ、他者の聖域に文字通り土足で上がる筆者の醜態を、工場長はしかし、いつも寛大に許容してくれた。だがその日に限って、工場長は、安全ヘルメットの下から苛立ちの表情を隠せずにいる。

話を聞くうちに判明したのは、場違いな服装の訪問者に構っている暇など少しもないほど、工場の稼働率が急上昇していたことだ。

何らかの理由で、同社の製品に対する需要が高まっている――。

 

帰国後、筆者は同製品を扱う小売りや競合他社の状況も調べてみた。そして、今後同製品の出荷台数が増加すること、株式市場はその増加を未だ予想していないこと、出荷台数が増加すれば同社の株価が上昇することを、それぞれ予測した。

筆者はつまり、そこで一編の「物語」を捏造したと言える。「市場の予想に反して、当該企業の主力製品の出荷台数は、飛躍的に増加する」。そんな他愛もないあらすじの、一編の「物語」だ。

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資本市場には、つねに数多の「物語」が氾濫している。

「米国の住宅価格は緩やかな上昇を続ける」
「中国産の鉄鋼製品の品質が上がり、日本の製鉄所は価格競争に破れる」
「煙草の小売価格が上昇しても、先進国の喫煙率は下がらない」

登場人物や場面の数が異なる様々な「物語」が、国境や産業セクターを超越して、また多くの場合互いに矛盾を孕みながら、何層にも厚塗りされた場所が資本市場だと言える。

筆者は調査と分析を重ねて、そんな「物語」の一つを構築し、そのあらすじに沿って投資して、そして失敗したのだ。

かかる失敗の原因を、筆者は差し当たり「物語の中毒性」と呼びたい。