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一青妙が明かす、台湾五大家族「顔家」没落の真相

父、祖父と「二・二八事件」
一青 妙 プロフィール

蔡英文の演説に耳を傾けながら

二・二八事件から70年となる今年、わたしは台北市で開催された追悼式典に被害者家族の一員として参加した。祖父が二・二八事件で「名誉毀損」を受けたことが、このほど認められたからだ。

台湾政府がつくった被害者への補償を行う財団法人「二二八事件紀念基金会」に対して、わたしは「遺族の一人」として受難者賠償金を申請し、わずかばかりの賠償金が支払われた。だが、お金よりはるかに重要だったのは、祖父の名誉が回復されたことだった。

 

ただ、祖父が被害者に認定されたことを報告すると、一部の親戚からは「余計なことをしてくれた」と非難された。それほど「家訓」の重みがあったということなのだろう。それでもわたしは、祖父は喜んでくれたと信じたい。

今年の2月28日は2016年に政権交代を果たした民進党の蔡英文総統が就任してから迎える初めての追悼日でもあった。事件の真相究明に全力を挙げることを力強く語る彼女の言葉に、気づかないまま、涙が頬を伝っていた。

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そんな祖父の苦労を知っていた父は、二・二八事件が起きた直後に、留学先の日本から台湾に戻った。

しかし、父を出迎えるはずの祖父はおらず、二・二八事件に続く、「共産党のスパイ摘発」に名を借りた白色テロでは、同じ大学で学ぶ同級生たちが捕まっていく姿を目撃し、父は台湾での生活をたった2年であきらめ、日本へ漁船による密航という形で引き返した。

台湾で、父の親友だった同級生の一人を見つけたが、3年前に亡くなっていた。だけれども、残された奥さんから聞いた話では、祖父のことを、「金と引き換えに命拾いした人間」として、忌み嫌っていたという。

父の友人のなかには、共産党員の活動や読書会に参加し、10年以上も監獄に入っていた別の同級生もいたことがわかった。もしかすると、父が密航という尋常ではない形で日本に渡り、台湾へ戻らなかった理由は、戦後の台湾の状況に失望し、同級生たちと一緒に読書会に参加したため、身の危険を感じたからではないだろうか。

ただ、父が本当に読書会に参加していたかどうかは、まだはっきりとした証言や資料は手に入れていない。

顔家と二・二八事件。これからも、わたしはあきらめずに調査を続けていく。それがわたしがいまここにいる意味を知ることにもなる。蔡英文の演説に耳を傾けながら、静かに、心のなかで誓った。

台南に通いつめ、「親善大使」第1号にも任命された著者がお届けする、とっておきの1冊
一青妙(ひとと・たえ)エッセイスト・女優・歯科医。台湾屈指の名家「顔家」の長男だった父と日本人の母との間に生まれ、幼少期は台湾で過ごし、11歳から日本で暮らし始める。台南市親善大使などに任命され、家族や台湾をテーマにエッセイを執筆し、著書に『私の箱子』『ママ、ごはんまだ?』(ともに講談社)『わたしの台南』(新潮社)などがある。