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一青妙が明かす、台湾五大家族「顔家」没落の真相

父、祖父と「二・二八事件」
一青 妙 プロフィール

半年におよぶ逃亡生活の末に…

台北の中心部で、台北駅の南側に位置する「二二八和平公園」を訪れた。二・二八事件の際、台湾住民に蜂起を告知するのに使用したラジオ放送局の建物が「台北二二八紀念館」になり、二・二八事件に関する資料が展示されている。

そこに祖父の名前を見つけた。

「台湾省『二二八』事変自新份子名冊」(台湾省「二二八」事件自新分子名簿)と書かれ、ずらっと並んだ人名のちょうど真ん中のいちばん見やすい場所に、祖父の名前があった。

 姓名   顔欽賢
 略歴   台陽董事長 
      民社党台湾省党部主委
 犯罪事実 二二八事変処委会委員 
      組織煤礦忠義服務隊反抗政府
 住所   基隆市

「犯罪事実」という文字に、衝撃が背筋に走った。祖父は、二・二八事件に関与し、「犯罪者」として位置づけられていたのだ。

「台陽」は顔家の会社で、董事長は会長のことだ。犯罪事実のところには「二・二八事件処理委員会のメンバーであり、鉱山労働者の忠義服務部隊を組織して政府に反抗した」と書かれている。「忠義服務隊」は、動乱のなか民衆が自衛と治安維持のために組織したものだった。

これらが記されていた「自新」とは一体何をさすのか。日本語からはちょっと想像がつかないが、後に調べたところ、自首は、犯罪発覚前に、自ら警察や検察に届け出ることにより、判決を受け、刑の軽減を得ることができる法律用語だという。自新を宣言した者には「更正」の証しである「自新証」が与えられた。

祖父もまた、「自新」を宣言した一人だったのである。

「自新」という事実で、ぼんやりとしていた祖父と二・二八事件との関係が、より具体的な姿に浮か上がった。父は犯罪者とされ、のちに「改心」を宣言することによって、罪を免れたのである。

 

それから、わたしは、祖父が入っていたとされた二・二八事件の「処理委員会」について、情報公開請求などを通して一次資料を入手し、詳しく調べた。

処理委員会は、当時の台湾の有力者、有識者メンバーが集まり、事件が起きた翌日の3月1日に成立した組織だ。委員会は国民党当局に政治改革要求を出した。だが、当初は交渉に応じる構えを見せていた国民政府側は、大陸からの派遣軍の到着を待って、強硬に転じた。処理委員会の解散を命じ、主要メンバーを指名手配犯とし、実力行使で鎮圧に乗り出したのだ。

photo by Tae Hitoto

祖父を含めた委員会のメンバーは命の危険を感じ、直ちに逃亡を強いられることになった。実際には指名手配犯となった人物の多くは逮捕されないまま行方不明となり、秘密裏に処刑されたと言われている。

祖父が家に戻れなくなった正確な日付はわからないが、1947年4月9日付の台湾省警備総司令部の通達で、祖父は「反乱要犯」の1人になり、別の文書では、2ヵ月後の6月にも同じく逃亡犯としてリストアップされている。祖父の逃亡生活はおおよそ長くても半年続いた、ということになる。

では、なぜ、祖父は罪から免れたのだろうか。