photo by Tae Hitoto
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一青妙が明かす、台湾五大家族「顔家」没落の真相

父、祖父と「二・二八事件」

顔家の「家訓」

わたしの父は台湾人で、「顔(がん)」という姓を持つ。

台湾では顔姓はあまり多くはない。父の一族は多くの台湾人がそうであるように福建省からの移民で、台北から少し北の基隆(ジーロン)という場所に居を定めた。

わたしも台湾では「顔妙」と名乗っている。そのあと「一族は基隆出身です」と話すと、台湾の人からはたいてい「ひょっとして、あの顔家ですか?」という反応が返ってくる。日本統治時代の台湾で、基隆から近い九份などの鉱山開発で財をなした顔家は「五大家族」にも数えられていたからだ。

基隆の街並 photo by gettyimages

そんな顔家には、ひとつの「家訓」があった。

「政治には関与しない」

戦後、大陸からやってきた国民党政府による一党独裁が続いた台湾において、顔家以外の有力な財閥は、政府にうまく取り入り、事業を拡張した。

しかし、当時の顔家の当主であった祖父・顔欽賢は、むしろ政治から距離をおき、世の中の流れに逆走するように、事業を縮小し、ひっそりと目立たぬように徹した。そのせいか、五大家族のなかで顔家は最も没落した存在になっている。

祖父は酒豪で性格的に面倒見がよく、大風呂敷を広げる饒舌な性格だったと聞いている。本来は、一族の事業をさらに拡大できる手腕を持っていたはずだった。しかし、なぜ、そうしなかったのか。そのことがわたしにはずっと疑問で、家族の記録を調べているうちにたどりついたのが、「二・二八事件」だった。

1947年に起きた二・二八事件は今日の台湾で知らない人がいない現代史上の重要な事件だ。228は中国語で「アーアーバー」と読むが、数字をそのまま言うだけで、二・二八事件について話していることが相手に伝わる。日本でいえば、「8月15日」が、おのずと「終戦の日」と受け止められる感覚に近い。

 

二・二八事件は台湾に暮らす人々の運命を根底からひっくり返した。1945年に終戦を迎え、台湾は日本統治から解き放され、国民党率いる中華民国に接収された。台湾人の誰もが最初は「祖国復帰」を喜んだ。だが、現実は残酷だった。国民党による搾取が横行し、深刻なインフレに陥った。

台北で闇タバコを売っていた女性に警官が暴行を加えた事件をきっかけに、日々募ってきた人々の不満は一気に暴発し、台湾全土に暴乱が広がった。のちに運動は武力で弾圧され、2万人を超える大量の犠牲者を生んだ。

二・二八事件とわたしの顔家の関わりを知りたいと思ったが、顔家の親戚たちに尋ねても、「そんなことを調べてどうするんだ」と露骨に嫌な顔をされた。とにかくみんなそろって口が重く、たったひとつ知り得たことが、顔家は二・二八事件以来、「政治には関与しない」ことを決めたという事実だった。

人の口から聞けないのなら、自分で調べてみるしかない。