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日本文化

変わりゆく日本人の死生観〜死んだことまで「個人情報」なのか?

武田信玄じゃあるまいし…

人が死んでも知らせない社会

ここのところ、少し遅れて人の死を知ることが続いた。

微妙な距離の知り合いである。頻繁に連絡を取り合ってはいないが、何かあったら連絡があるだろう、という距離の人である。

ひとりはかなり若い知り合いだった。

亡くなって1年以上経っていた。その死はあまり知らされておらず、フェイスブックで彼の誕生日におめでとうメッセージを何人かが送ったところ、それに近親者が気付いた。死んだあともフェイスブックは消されずに残っていたのだ。彼は亡くなっていますとの連絡がまわってきた。

もうひとつは、これは私より年上の人で、そこそこ高齢の人である。年賀状を出したところ、おりかえしご夫人から「主人は昨年、亡くなっております」との連絡があった。まあ、これは過去にも何度か経験したことはある。

しかし人が亡くなっていることをかなりの期間知らなかったことが二つ続いて、少し考えさせられた。

人が死んでも、すぐにあまり大きく知らせない社会になってきたのか、とふと感じた。これはこれでやさしい社会だと言えるのかもしれない。

それにしても。

かつて、私の育ってきた社会とは少し様相を変えてきているようである。

 

1970年代の葬式風景

我が死を3年隠せ、と武田信玄は死ぬ前に命じた。

死んだことを周囲に知られるな、という信玄最後の指令だ。

戦国時代の話である。戦略として、死を隠せと言った。(ただし、本当にそう言ったのかどうかはわからない。言ってそうだけれど、誰がどう伝え聞いたのか確かではない。講釈師周辺が創作した可能性も高い)。

戦国武将の知略である。ふつうはそんなことはしない。

むかしから、人が死んだら、すぐに知らせる。生前に故人と関わりのあった人には、なるべく早くなるべく広く知らせるものだった。少なくとも私はそう教えられ、そうしてきた。

これは、通夜やお葬式がすぐにあるからだ。そこでお別れの挨拶をしたい人に、その機会を逃さないように、と連絡する。

また、むかしのお葬式は、家族だけで手に負えるものではなかった。そのため近隣に住んでいる人たちも葬式を手伝った。親類でなくても、近所に住んでる人ならばお葬式を手伝った。

昭和のころ実際に体験している。私は京都の街中に住んでいたが、昭和50年代(西暦で言うなら1970年代後半)、祖父が死んだときがそうだった。

自宅で死を看取ったあと、親類がやってきて差配を始めたのを皮切りに、いろんな人がやってきて「何かお手伝いできることがあれば」とみな口々に言う。臨終の瞬間こそ家族だけで沈痛な空気だったが、人がやってくることによって一転、不思議に家内が〝陽気〟になった。

そのまま葬式が終わるまで、不思議な〝陽の気〟は去らなかった。私の葬式に対する原風景はそういうものである(当時、すでに高校を卒業した年齢であった。会ったこともない親類に電話を掛ける役目を負った)。いまから40年前のことである。

1970年代の京都と、2010年代の東京では、人の死と葬式にまつわる風景がずいぶん変わってしまった。地域差もあるようにおもう。地方社会は人間関係が濃い。そういう濃い人間関係を避けて、多くの人が東京エリアに集まってくる。

おそらく東京の郊外に巨大な団地群が作られた昭和の中ごろから、周辺の人たちが助け合ってお葬式を出す、ということがどんどん減っていったのだろう。それが日本のスタンダードになっていった。