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企業・経営
打算と裏切り…国鉄最後の20年を描いた『昭和解体』はここがスゴイ
これは、戦後最大の経済事件だ

昭和62年(1987年)4月1日午前0時、「日本国有鉄道」は明治5年(1872年)の開業以来、115年にわたった長い歴史の幕を閉じた。

その日、鉄道発祥の地である東京の汐留貨物駅で行われた「SL汽笛吹鳴式」では、戦前に製造されたC56型蒸気機関車が、むせび泣くような汽笛を鳴らし、詰めかけた鉄道ファンは国鉄との別れに涙するとともに、新たに発足する民間鉄道「JR」の前途を祝したのだった。

だが、この記念すべき日を迎えるまでのおよそ20年間、水面下では国鉄関係者のみならず、政治家、官僚、財界人を巻きこみ、友情、憎悪、打算、裏切り、そして連帯という壮絶な人間ドラマが繰り広げられていたのである。

そんな国鉄最後の20年間を、中曽根康弘元首相をはじめとする関係者による詳しい証言や、未公開の貴重な資料をもとに描き切ったのが『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』だ。

著者の牧久氏は、昭和16年、大分県生まれ。東海道新幹線が開通した昭和39年に日本経済新聞社に入社し、東京本社社会部に所属。担当記者となった昭和43年以来、「同時代の目撃者」として国鉄の動きをウォッチしてきたベテランジャーナリストである。

分割・民営化から30年という節目に本書を上梓した牧氏に、当時の真相を聞いた。

戦後日本の転換点を描く

私は、かねてから国鉄の分割・民営化は戦後の日本における最大の「政治経済事件」だと考えていました。ピーク時に60万もの人員を抱えた企業体は日本においては国鉄しかありませんし、それほどの巨大組織が解体されたことで、社会は大きく変化しました。

なかでも劇的に変わったのは、日本の「労働組合運動」が壊滅したことです。

 

戦後の日本はマッカーサー連合国軍総司令官が進める民主化政策のもと、多くの労働組合が誕生しましたが、最も規模が大きかったのは「国鉄労働組合」(国労)でした。国労は最盛期には約50万人以上の組合員を擁し、「日本労働組合総評議会」(総評)の中核組織として、社会党を支えていた。

ところが国鉄の分割・民営化により国労が潰れたことで上部組織の総評は解体に追い込まれ、ひいては社会党の壊滅に繋がった。国鉄解体は戦後日本の転換点だったわけです。

では、この「事件」はいかにして起こったのか。

これまで、当事者たちがそれぞれの立場から発言した記録はたくさん残っていますが、俯瞰して全体像を示すものはなかった。

そこで本書では、当局者や労組関係者、国鉄を取り巻く政治家や官僚たちの証言や資料をもとに、国鉄解体に至るまでの客観的な記録を残そうと考えたのです。