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週刊現代 歴史

陛下の生前退位を前に知るべき、天皇家と近代国家をつなぐ「暗部」

セックスの力を王権強化に用いるということ

はじまりは後醍醐天皇から

網野善彦氏(1928~2004年)は、ユニークな歴史家で、毀誉褒貶があるが、中世日本における天皇と被差別民の関係、また中世に日本が海洋交通を通じて東アジアから東南アジアにかけて開かれていたという歴史観を示すことでアカデミズムに大きな衝撃を与えた。

また、専門家だけでなく一般読者の興味を引くテキストを構成する能力があったので、日本中世史に対する社会の関心を向ける上でも大きな役割を果たした。特に南北朝時代の後醍醐天皇(1288~1339年、在位1318~39年)を扱った『異形の王権』がよく読まれた。

網野氏は、後醍醐天皇に対する評価が、太平洋戦争を境にして大きく変化したことに注目し、こう述べる。

〈後醍醐天皇が天皇史上、きわめて特異な役割を果した天皇であることは、それを否定的にとらえるにせよ、肯定的にとらえるにせよ、事実として広く認められているといってよかろう。そして後醍醐の建武新政府の崩壊後、日本列島主要部の社会を六十年にわたって動乱の渦の中に置いた南北朝動乱を境に、前近代の天皇のあり方、その権威と権力の実質が大きく変ることも、また異論の入る余地はないといえよう。

それだけに、後醍醐の政治についての研究は、それを「建武中興」ととらえた戦前と、前後に類を見ない専制的、反動的な政治と見る戦後とでは、その評価が大きくゆれ動いている〉

 

後醍醐天皇の特徴は、従来と異なる人々を自らの権力基盤を強化するために活用したことだ。この文脈で注目されるのが、異類や異形と呼ばれた人々だ。

〈笠松宏至が着目しているように、建武政権も末期に近い建武二年(一三三五)、新政府の発した「陣中の法条々」は、このころ陣中-内裏の内部に「異形の輩」が出入していたことを明らかに物語っている。

(中略)天皇の居所である内裏の中に、ごみを捨てたり、よごしたりする者が出入し、それを政府が制止するために法令を発する。

この珍妙ともいえるような事態、「天皇の保持する権威と清浄の原点ともいうべき内裏内部で、このような次元の低い禁制を必要とする事態」に、笠松は建武政府の異様さの極致、その特有な性格を見出し、この内裏に出入するものの中の一つのグループとして「全国各地から蝟集してくるおびただしい訴訟人の群れ」をあげ、他のグループとして、物売りや「聖俗いずれとも判断のつかない者ども」があったとしているが、私はこの後者の中に、覆面をつけ、足駄をはいた非人・「悪党」のいたことは確実と考える。

実際、「程遠からぬ参内の時も」、文観の「輿の前後」をかこんでいたという「数百騎の兵」の中には、こうした多数の「異形の輩」がいたに相違ない〉

制止や禁止を定めた法令が公布されるのは、そのような事実が存在するからだ。被差別民を含む従来、天皇の権力に直接組み入れられていなかった人々を糾合し、権力基盤を強化することによって後醍醐天皇は大胆な改革を実現しようとしたのである。

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