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週刊現代
日本映画史に残る多数の名作を送り出した、木下惠介と小林正樹の人生
戦争の影と青春の輝き

大物スターの恋物語

680頁になんなんとする大部の本書『映画監督 小林正樹』には木下惠介、橋本忍ら二十数名の錚々たる映画人が、この人間的美質に貫かれた大監督とその作品について文章を寄せている。

それぞれに感銘深いものばかりだけれど、私にとってもっとも鮮烈だったのは『宮古島戦場日記』の部分だった。

小林正樹は1941年、大卒後25歳で松竹に入社するが、同年の12月には召集を受け、翌年1月には入営している。任地は満州ハルピン。3年後の1944年8月、移動命令により宮古島に赴き同島の守備につく。

 

『宮古島戦場日記』は空も海も敵軍のコントロール下にある孤島での、食糧不足に耐えながらの爆撃や艦砲射撃の日常や、品性劣悪な上官への批判や怒りが記される中、まるで珠玉のような入営前の青春の想い出が「過去の扉」として挿入されるのだ。

大庭秀雄監督の『風薫る庭』で助監督に付き、連日の夜間撮影に疲れ果てて俳優の控え室でうたた寝をしていたとき、女優水戸光子が現れて、「これ如何?」と虎屋の羊羹を半分差し出され、かぶりついて食べてしまう。

その翌日はまた「女中がおはぎを持って来ることになっているから」と彼女の部屋に呼ばれ、互いの家庭環境などぼつりぼつり語り合った後、「さあ、おあがんなさい。五つありますからあなたが三つ、わたしが二つ食べることにしましょう」と勧められる。

小林正樹はあっという間に平らげてしまうが、水戸光子のほうはまだ一つめを食べ終わったばかりで、笑いながら残った一つを箸で半分に切り分ける。

戦時中の甘いもののない時代の、映画『暖流』でスターの地位を確立した庶民派女優と雄偉な体躯を持つ美丈夫助監督との淡い親しみ合い。それを「相通ずる電波があるように思える」と従姉の田中絹代に言われ、恋を意識する。

「私がいつでも逢わせてあげる」と後押しされ、篆刻の趣味を持つ小林正樹は羊羹とおはぎの礼として水戸光子の本姓を象形文字に彫って印籠を作る。直接渡すのを潔しとしない従弟に代わって「手紙だけは書いてくださいね」と田中絹代が印籠に手紙を添えて水戸光子に届けるのである。

押しも押されもせぬ大ものスターがふたりの恋の成就のために喜々として尽くすさまも床しい。水戸光子は入営前夜の小林正樹を銀座の店に連れて行き、手編みのチョッキを贈る。是非、着て見せてくれと懇望されて、その場で身に着けると右下に真赤な毛糸で彼女の姓が印籠に刻んだのと同じ篆書で編まれてある。

「ほんとうにさよならね」そっと差し出される白い手を取って別れ、戦地で小林正樹は贈られたチョッキを顔に押し当てて、あのとき立ち寄った蒲田の家の彼女の部屋と同じ匂いだと痛切に追想する。

青春の思いは遂げられず

小林正樹の戦争体験はその作品群に投影されてみごとな結実を誇っているけれど、ささくれだった断末魔的戦場の日常と、そこに投入された過去の挿話は切断された青春の清冽さを際立たせてひたひたと胸を打ってやまない。

沖縄の収容所で水戸光子の結婚をラジオ放送で知った小林正樹は毛糸のチョッキと彼女からの手紙を火に燃やし、過ぎ去った青春を葬送する。

まさに「映画、戦争、青春」のテーマの神髄を地で行くような逸話ではなかろうか。