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第二次大戦中、軍部が「こんにゃく」集めに奔走した意外な理由

あの「新兵器」の材料だった

奇想天外な「ふ」号計画

ろくに腹の足しにもならない、格別美味しいというわけでもない。こんにゃくは、普段の食卓では、地味な「脇役」に過ぎない。

そのこんにゃくがもっとも必要とされ、スポットライトを浴びたのが、日本の存亡をかけた第二次大戦中であった。

太平洋戦争末期、アメリカに首都東京を空襲され、日に日に劣勢に立たされていく中、軍部が考えた奇想天外な兵器。それが「風船爆弾」だった。

風船爆弾は正しくは「ふ」号兵器と呼ばれる。それを大量に打ち上げ、アメリカ本土を攻撃するという「ふ」号計画は日本の起死回生の一手になると期待されていた。

水素ガスを詰めた気球に15kg爆弾と数個の焼夷弾を吊り下げる風船爆弾。これを太平洋上空の偏西風に乗せて、敵国まで飛ばす。

しかし、目標のアメリカ大陸までは7000km以上もある。さらに、風船爆弾は直径10mもある。その球皮の素材は一定の強度に加え、気密性が必要だった。

 

軍部は球皮材料としてゴム引き布、合成樹脂、各種油脂、各種糊剤などの気密性測定を行なったが、その中で最も優れていたのがこんにゃく糊だったのである。その上、軽量でコストもかからない。こんにゃくは新兵器の素材にうってつけだった。

球皮は和紙4~5枚にこんにゃく糊を大量に塗布し、作られた。気球1個あたりに必要なこんにゃく粉は約90kg。時の東条首相は10万発の風船爆弾を目標に掲げ、軍部はこんにゃく確保に奔走した。

農家にはジャガイモやサツマイモの畑をこんにゃく畑に転用するように命令。軍はジャワ島まで行き、現地のこんにゃくイモを2000tもかき集めたという話もある。

結局作戦で打ち上げられた風船爆弾の数は9300発。これに費やされたこんにゃく糊は約2万5000t。現在市販されている板こんにゃくにするとざっと1億枚が使われた計算になる。

ただ、打ち上げられた風船爆弾のうち、アメリカに到達したのは1000発程度。しかも、雪のために爆弾の効果も薄く、作戦はあえなく失敗に終わったのである。(井)

週刊現代』2017年4月8日号より