労働はいつから「苦役」になったか

労働を意味するフランス語のトラバイユは、ラテン語のトリパリウムを語源としている。元々は重い荷物を載せた車輪がきしむ音からきた言葉であり、古代の奴隷たちの労働をさす、労苦、苦役というような意味で使われるようになった。

といってもヨーロッパの人たちが、労働を単なる苦役だと思っていたわけではない。

実際に働いている人たちが書き残した文書としては、古くは石工の書いたものが残されているが、それを読むと労働には苦しいことも楽しいことも達成感もあって、けっして労苦だけだと感じていたわけではなかった。

おそらくそれが、中世までの普通の人たちの感覚だろう。

ところが労働=労苦というとらえ方が、近代になると甦ってくる。

産業革命が起こり、近代的な労働者が生まれてくると、労働者のなかからは自分たちの労働を労苦だととらえる人たちがふえてきた。その原因はヨーロッパの近代社会が、階級社会として形成されたことと関係していた。

労働が労苦になるかどうかは、その労働がどのような関係のなかでおこなわれているのか、が強く影響している。

たとえば自営業者はしばしば長時間労働をしているが、疲れることはあっても労苦と感じることはないだろう。命令された労働でも監視された労働でもなく、自分の意志でおこなっているのだから苦役ではないのである。

近代に入って労働=労苦という感覚が甦ってきたのは、階級社会の下で、労働者は命令に従うだけ、監視下におかれるだけの労働に従事しなければならなかったことが原因だった。

それではお金と引き替えに自分の労働力を消耗させるだけになってしまう。とすればこの労働を労苦としてとらえる人たちがふえていくのも当然のことである。

もちろん身体や生活を壊してしまうような長時間労働が許されるわけではないが、労働を苦痛なものに代えてしまう要素としては、どんな関係のなかでその労働がおこなわれているのかが大きいのである。

こんなこともあった。

日本は1960年代に入るとさまざまな工場で技術革新が進んでいった。ベルトコンベアの前に立ち、一日中単調で単純な同じ労働を繰り返す。そんな工場が各地に生まれていった。

それは疎外された労働という言葉を一般化したが、当時の調査結果を見ると、労働者たちが疎外感を感じていたのは、このような労働の変化以上に職場の人間関係の変化だった。

技術革新に伴ってそれまでの横に結ばれた職場の雰囲気が変わり、管理職と一人一人の労働者という縦型の職場ができたことに、労働者たちは「疎外」を感じていたのである。