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読書人の雑誌「本」 歴史
大作家を担当した僕が紡いだ、誰も知らない「昭和史」
半藤一利さんが綴る、文士たちの素顔

「歴史探偵」の異名を持つ作家・半藤一利さんが、昭和の文士たちのエピソードをまとめた『文士の遺言』を出版した。

「ケチンボ」の荷風

わたくしは大学を卒業して雑誌の編集者として社会人生活をスタートしました。まことにいい職業についたものです。

名刺一枚でだれとでも会えるという特権をフルに使いました。しかも一回こっきりではなくて、膝をつき合わせて貴重な話を聞く機会は何度もありました。そこに編集者冥利があるわけで、その仕事を40年もやってきたのです。お蔭で滅多にお目にかかれない先生方とも懇々たる知己になることができました。

と、得意そうにいうが、本書『文士の遺言 なつかしき作家たちと昭和史』に何度か登場する永井荷風とはまったく会っていないのでないか、と、あるいは疑いをもつ読者もおられるかもしれません。実は、生前の荷風さんには浅草で3回だけ会っているのです。

すべて公園六区の電気館裏通りにあった「峠」という喫茶店兼食堂、いまでいうスナックにて。いまはありませんが、ここも荷風さんがしばしば訪れた店の一つで、『断腸亭日乗』にも登場します。

 

ある日、荷風さんとやや離れたとまり木で友人と一杯やっていると、扉があいて踊り子が2人、「先生、お待ちどお」と入ってきた。しばらく3人で談笑しながら遅い食事をとっていましたが、踊り子が「クククク」と忍び笑いをときどき洩らしていたところから察しますと、きっと猥談でも荷風さんが一席やっていたのでしょう。

ところが、勘定となってひと悶着、踊り子のひとりが「アラ、先生、あたいの分は?」というと、荷風さん「だめ、君は招んでいなかったから」と断固としてはねつけたのです。とたんに「ケチ、ニフウ先生のケチンボ」とくだんの踊り子が大声をぶつけたのに、荷風さん、動じることなく2人分の勘定をすますとさっさと店をあとにしました。

どうやら誘ったほうだけにご馳走をし、勝手についてきたほうは自前だと荷風さん一流の合理性を押し通したらしい、いかにも荷風らしいやと感服したことを覚えています。

「峠」では三度とも荷風さんは若鶏のレバーの煮込みをパクついていたと記憶しています。そしてただ一回だけ、思いきって「爺さん、うまいか」と聞いてみました。

「ウム、少々鶏は固いが……」

荷風さんと口を利いたのはこれだけでした。

他にも、言葉を交わすことのなかった文士が何人か加わっておりますがお許しを願います。

歴史探偵の誕生

本書を担当した編集者が、頼まれてほうぼうの雑誌に書き散らした文士の思い出話を取捨し、本一冊ぶんになるように編集したものですが、ほんとうはあまりにも昔に発表した雑文もあり、それにこれまでに何度も語ったり書いたことがある内容のくり返しなので、二の足を踏むところがあったのです。が、歴史探偵として86歳まで働いていられるのは、高見順さん、坂口安吾さん、松本清張さん、司馬遼太郎さん、それと伊藤正徳先生のお蔭ではないか、と思い直すところがありました。

そのことを一冊にまとめておいてもいい。何も報恩とかの格好づけの話ではなく、わたくしのような東京は下町の悪ガキ育ちのぼんくらが、いかにして歴史、とくに昭和史の面白さに魅せられ研究にのめりこんでいったのか、これから志を立てる若い人たちの参考にあるいはなるかもしれないと、少々大それた思いもしてきて、このような一冊に仕上がりました。

刊行に際し、いま、いくらかはホッとしております。“参考になる”ところはあまりないようですが、ひとりの歴史好きがこのようにして誕生したことがかなりわかってもらえるのではないでしょうか。わたくし自身もゲラの読み直しと手入れをしながら大いに愉しみました。そして勉強にもなりました。

読者にとってもこの本がそうであるかどうか、それはわたくしにはわからないことです。おそらく読者によっても違うでしょう。しかし、本書にでてくる先生方の言葉については、わたくしは噓を少しも書いていません。

語ってくれた言葉そのものばかりですから(もちろん、一字一句正しいとはいえませんが)、言葉そのものを味読していただければ、きっとだれにも愉しめる、そうあれかしと願うほかはありません。

読書人の雑誌「本」2017年4月号より