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歴史

歌舞伎と現代演劇の決定的なちがいは何か

戦後歌舞伎の精神史

あいまいな境界線

近代と現代の時代区分はどこにあるのだろうか。

前近代と近代は、明治維新によってはっきりと分けられている。しかし近代と現代の区分はそれほどはっきりしていない。

私の少年のころは、近代といえば明治まで、大正、昭和の前期が現代だった。それが平成の今日になると、大正はむろん昭和前期が近代になって、現代といえばほぼ1960年代から今日までを指すことになった。

前近代と近代を生きた福沢諭吉は、一身にして二生を生きるといった。私たちもまた近代に生まれ育って現代に生きている。その意味では一身にして二生を生きているのだが、その近代から現代への境界線がはっきりしていない。

それは近代とはなにか、現代とはなにか、その違いはなにかが不鮮明だからである。

その境界線を明らかにしたいと思って書いたのが『戦後歌舞伎の精神史』である。

むろん時代の境界線は歴史学者にとっては自明のことだろう。それに時代の境界線は分野によっても同じではないだろう。

政治、経済、社会、文化……。そのなかでも文化の一分野である演劇、しかもそのなかの古典劇である歌舞伎を私が取り上げたのは、一つは私が歌舞伎をずっと見続けて来たからであり、この戦後70年の間私の人生体験のもっとも基本的な部分だったからである。

しかしそれだけではない。そもそも歌舞伎が前近代に生まれて近代、現代という歴史的な時間の中で生き続けているものだからである。

 

もし近代の起源がどこにあるかといえば、それは明治の名優九代目市川団十郎にまでさかのぼる。

そしてその影響は、例えば昭和20年8月15日をもって消えたわけではない。近代は戦後も続いていたのであり、それは六代目尾上菊五郎から六代目中村歌右衛門にまで及ぶ。

その近代が破産したのは、あながち歌舞伎だけの問題ではない。近代的な人間像や世界観が崩壊したからである。

この変動によって起こった歌右衛門や七代目尾上梅幸の苦難は、さらに四代目中村雀右衛門や坂田藤十郎を通して、現代の人間観や世界像に結びつく坂東玉三郎につながっている。

そこでは女形という特殊な技法を相対化する視点が現れ、蜷川幸雄の男優のみによるシェイクスピアと交差し、尾上菊之助による「十二夜」に至って、女形という前近代の生んだ手法を現代演劇によみがえらせることになった。

猿之助の「ワンピース」は歌舞伎か

私が書いたのは、このような時代の変動を生き抜いた人々の精神の在り処である。そしてこのような激動のなかでも歌舞伎は生き続けている。

怖ろしいことに伝統の力は、時代の波に呑み込まれた人々を吸収し続けた。あの近代の象徴であった六代目菊五郎も歌右衛門もその人生の最後には伝統に呑み込まれて独特の芸境に至った。

しかし近代を吸収した伝統も微妙に変わらざるを得なかった。その変化のなかから真の古典劇――現代人の鑑賞に堪えうる古典劇の新しい規範が生まれた。その規範を作ったのが吉右衛門であり、仁左衛門であり、玉三郎であり、今は亡き三津五郎であった。

しかしそれと同時に歌舞伎が単なるデザインとして、あるいはただの時代劇として拡散して行ったことも否定できない。