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ライフ 現代新書

自閉症スペクトラムの「壮絶人生」告白後に痛感した世間との距離

理解なんて、されるワケない?

辛辣なネットのコメント

先日、講談社から本を出した。「COCORA~自閉症を生きた少女」というタイトルの、いわゆる自伝的小説だ。

生まれた時から自閉症スペクトラムという障害を抱えていた私だが、その障害のことが分かったのは、成人してからのことだった。それまで自分の脳に障害があるとは知らなかった私は、障害ゆえに人間関係もこじれにこじれ、長年、精神的にも極限の状態に置かれていた。その原因を探し求めた末、ようやく病院での診断に辿り着いたのだ。本は、そんな私の人生を綴ったものだった。

 

本を出した翌日には、『見えない障害を理解してもらうために』というサブタイトルを付け、講談社のネットページhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/50796)に寄稿した文章が、運よくヤフーニュースに転載された。

こんな経験はもちろん貴重だが、私はヤフーに載った事よりも、その下の『コメント欄』に何が書いてあるのかが気になった。私の書いた記事に対して、どんな人がどんな意見を抱くのか――こういうものは見ない方がいいという人も多いが、好奇心が不安に勝った。

「理解なんて、結局のところされるわけがない」

これが、読者から一番賛同を得ていたコメントだった。「人は目に見える障害を負うものに対しては優しいが、目に見えない障害を負うものには冷たいものなのだ」と。そのコメントが一番大衆に支持されているのだ。

私がサブタイトルで『見えない障害を理解して』と訴えたものは、コメント欄で「それは無理!」とあっけなく却下されてしまったのだ。もちろん「理解していくことが大切だ」「知ろうとする努力をしなければ」などの前向きな意見もないわけではなかったが……

「理解なんて結局されない」それは、本当だろうか。

一言で片づけるのは簡単だけど…

確かに私たちはよく、見えるものだけを信じてしまう。目に見える部分だけで判断し、思い込み、そして決めつけやすい。

400年前、ガリレオは地動説を有力な証明とともに提示したが、当時の人々は「空が動いているのだ。太陽が地球の周りを回っているのだ」と、目に見えるものだけを信じ、地動説を受け入れなかったという。しかし、それから400年がたった今、どうだろう。地動説を信じない人間が、このIT時代にどれだけいるだろうか。

400年の間に、科学は飛躍的に進歩し、私たちは多くの学者たちが『証明』してきたその理論を学校で学び、「地動説は正しいのだ」と理解した。たとえ自らの目で見ていなくても、私たちは学びを積み重ねてゆくことで、それを正しく理解することが出来たのだ。

それは、見えない障害であっても同じことではないだろうか。