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歴史

「世界三大悪妻」の一人、モーツァルトの妻はこんな人だった

ロクな葬式もあげずに…

コンスタンツェの「罪状」

なにしろ「世界三大悪妻」に必ずランクインする存在なのだ。いったいどんな女なのかと考えてしまうのも当然だろう……。コンスタンツェ・モーツァルト。かの超有名音楽家、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの妻である。

コンスタンツェの「罪状」についてはさまざまなことが言われてきた。モーツァルトの才能を理解できず、その享楽的な暮らしぶりに拍車をかけた末に家計を火の車に陥れ、彼が早世する原因を作った。しかもロクな葬式を上げてやらず、共同墓穴に葬ったため、遺体は永久に行方不明になってしまった。

 

さらに夫が亡くなった後は、彼の残した直筆譜を楽譜出版社に売りさばいて巨万の富を成したうえに、こんどはデンマークの外交官と再婚し、やがて宮廷顧問官夫人とさえ名乗るまでにいたった。挙句の果てには、生前仲の悪かった舅(つまりモーツァルトの父親であるレオポルト)の墓所を乗っ取り、そこに再婚相手と自分の墓を立てた。

コンスタンツェ・モーツァルトの肖像画(Photo by gettyimages)

これらのことを見ると、コンスタンツェが「世界三大悪妻」のひとりと呼ばれているのも頷ける気がする。だが「本当のところはよくわからない」というのが現実なのだ。

そもそも、モーツァルトの生前における彼女に関する資料自体がほとんど残っていない。ふたりがひとつ屋根の下に暮らしていたため、モーツァルトの生活ぶりを知る際の手がかりである手紙がほとんど存在していないというのがその理由。

またモーツァルトにたいする葬儀や埋葬の件、直筆譜売却の件、さらには舅の墓所乗っ取りの件も、当時の社会状況に照らし合わせてみれば当然のことをしたまでであったり、あるいは後世の人間の勝手な推測がひとり歩きしていたり、といった状況なのだ。

だから、実のところコンスタンツェがどのような人物だったのか、はたして指弾されるほどの罪の数々を犯したかについては、まったくもって判然としない。にもかかわらず、なぜ彼女は「悪妻」のレッテルを貼られ、そのイメージがヨーロッパのはるか東に位置する日本にまで定着することとなったのか?

そんな疑問を基に書き進めたのが、このたび選書メチエから上梓される運びとなった『コンスタンツェ・モーツァルトー「悪妻」伝説の虚実』である。

叩くほどに満たされる優越感

それにしても、この問いに迫るべく数あるさまざまなモーツァルトに関する、とくに評伝を読み進めてゆくと、出てくるわ出てくるわ。罵詈雑言といってよい評価が、しかもふだんは上品かつ知的なふるまいを旨としているかのような学者や評論家といったインテリも巻きこんで……といおうかインテリを中心として多数発せられているのである。

ちなみにモーツァルトの評伝が次々と出版されてゆくようになるのは19世紀後半から20世紀にかけてのこと。いわゆる進歩・進化の思想がヨーロッパ中に定着してゆくなかでのできごとであって、そうなると前人の描いたモーツァルト像を後に続く人間が乗り越えようとするなか、ことコンスタンツェに関しては先行する著作の上をゆくような悪妻ぶりが喧伝され、現在に至るまでますます収拾のつかない状況が生まれることとなった。

さらに明治時代以降、西洋音楽を熱心に取り入れていった日本においても、「本家本元」のヨーロッパにおけるコンスタンツェ像が無批判に流入し、ついに世界三大悪妻――この表現もどうやら日本独特のものらしいが――のひとりと言われるまでになった。