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南スーダン アフリカ
日本では議論されない南スーダン「絶望的な現状」〜これが本当の論点
未曾有の人道危機はなぜ起きているか

南スーダンで起きていた「戦闘」

2017年3月10日、首相官邸で開催された国家安全保障会議の結果、日本政府は国連PKOの一員として南スーダンに派遣されている自衛隊を5月末に撤収することを決定した。

昨年から、自衛隊の南スーダン派遣の是非と「駆け付け警護」という新任務に関して、日本の国会やメディアでは、さまざまな議論がおこなわれてきた。焦点は、2016年7月に南スーダンの首都ジュバで生じた事態が、「衝突」であったのか、「戦闘」であったのかという問題であった。

たんなる衝突であったという政府の主張にかかわらず、これは軍隊同士のまぎれもない戦闘であった。かつ、政府軍と反政府武装勢力の衝突ではなく、二つある政府軍が戦ったのだった。

まず確認しておきたいのは、7月8日に、ジュバでいったいなにが生じたのか、そしてだれとだれが交戦したのかという事実である。

 

この日、大統領官邸で、サルヴァ・キール大統領とリエック・マチャル第一副大統領、および南スーダン暫定国民統一政府(TGoNU)の閣僚たちのあいだで会議が開かれており、終了後には記者会見が開かれる予定であった。大統領と第一副大統領は、かならず警護隊に警護されて移動する。

7月8日も、大統領と第一副大統領の会談中、大統領官邸の周囲と構内に、双方の警護隊が待機していた。7月8日の戦闘の発端は、二つの警護隊のあいだで発生した銃撃戦であった。この銃撃戦は、2015年の和平合意後は沈静化していた内戦が再燃したものであり、その意味で内戦という戦争の一部と捉えられるべきである。

大統領警護隊と第一副大統領警護隊は、いずれも政府軍の兵士から構成されている。ただし、政府軍は二つある。つまり、スーダン人民解放軍(SPLA)とスーダン人民解放軍=野党派(SPLA-IO)である。

2013年12月に勃発した内戦状態のなかで、SPLAは、キール大統領の指揮下にとどまったSPLA本体と、マチャル元副大統領の側についたSPLA-IOに分裂し、内戦は主として二つのSPLAのあいだで戦われたのだった。政府軍と同様に、政権党であるスーダン人民解放運動(SPLM)も、SPLMとSPLM-IOに分裂した。

2015年8月の和平合意「南スーダンの紛争解決のための合意」(ARCSS)に基づいて樹立された現在の南スーダン暫定政府は、「一政府二政府軍」という、あまり類例のない制度を採用しているのである。

2015年の和平合意では、90日以内に、つまり2015年11月中にSPLMとSPLM-IOの両派と他の政治勢力が参加する南スーダン暫定国民統一政府が樹立されること、暫定政府の樹立後は、二つの軍隊が政府軍として併存し、180日以内に一つに統合されることが規定されていた。

また、ジュバから半径25キロメートル以内は「非軍事化」され、その圏内に駐屯していたSPLAの諸部隊はすべて圏外に撤退し、首都圏内には大統領警護隊と第一副大統領警護隊だけが存在することになっていた。

和平合意の執行は遅れ、SPLM/SPLA-IOの主要メンバーがジュバに戻って、マチャル元副大統領が第一副大統領に就任し、暫定政府が発足したのは2016年4月末のことであった。

それからわずか2ヵ月あまりの後に、ジュバで戦闘が再開され、和平合意は事実上破綻した。

だれも銃撃を止められなかった

7月8日に大統領官邸で発生した銃撃戦の直接の原因は、現在に至るまで不明である。ただし、その数日前から、SPLAとSPLA-IOとのあいだで殺傷事件が散発し、緊張が高まっていたのは事実だ。

銃撃戦は、大統領と第一副大統領をはじめ、暫定政府の首脳たちと、外国メディアを含むジャーナリストたちのすぐ目の前で発生した。その場での死者は100名を超えた。つまり、ほとんど全員が死傷するまで、だれも銃撃を止められなかったのである。

翌9日は、南スーダン共和国の独立記念日だったが、祝賀行事どころではなかった。戦闘は小休止を迎えたが、10日から11日にかけて、大統領側政府軍(SPLA)は、首都圏外から地上部隊と戦車部隊、および攻撃用ヘリコプターを動員し、副大統領警護隊の駐屯地を激しく攻撃した。

この軍事行為自体が、和平合意違反である。

このとき、ジュバにいたSPLA-IOの総兵力は副大統領警護隊の1,200名程度の兵士だけで、軽火器で武装していただけであった。SPLA-IOの主力部隊は、遠く離れた上ナイル地方におり、増援と武器弾薬の補給の可能性はなかった。つまり、軍事的にはSPLA-IOは圧倒的に不利だったのだ。

しかし、SPLAの総攻撃をよく持ちこたえ、11日にはキール大統領とマチャル第一副大統領が停戦を声明し、ジュバでの戦闘は終息した。