文化

舞妓さんと遊ぶ、おいくら? 京都人が隠しておきたい「おねだん」

千年の都の不思議
大野 裕之

京都の商売上手

それにしても、出版した今もある種の決まりの悪さを感じている。

例えば、京都の知り合いが、「駆け出しです」と言うのでよく聞いたら「三代目・創業80年」だったりする。先日は、「うちはまだ300年ですが」と言いながら扇子の山岡白竹堂の十代目が、555周年を迎える華道の池坊さんにご挨拶しているすごい名刺交換を目撃した。

そんななか、在住歴23年の僕が京都本を書いてもいいのか。人間やっていいことと悪いことがあるのではないか。

一応、言い訳しておくと、もともと連載していた雑誌に、僕にはそんなん書けませんと一度はお断りしたのだが、でも大阪生まれ人から見た京都という切り口もありだろうし、なにより「京都の不思議」はみんな興味があるから書いてみなさいとのオススメがあってきばって書いたものだ。

タブーに切り込んだのではない。そもそもタブーを知らない人が感じた不思議を書いた。〈おねだん〉を通していろんな思考の形が見えて、自分を広げてくれたと思う。

見方を変えると、たかだか20年いるだけで、「そこに住むこと」じたいが商売になる街は他にはない。大阪生まれ人から見て、京都の商売上手は驚くべきものがある。

築数十年ほどの町家の街並みに、「千年の都」とラベルを貼っているのは詐欺に近い。大阪が文楽などの、世界から尊敬される価値に重きを置かず、たこ焼きだのお笑いだのとB級(たこ焼き好きやけど)ブランディングに特化したことで都市の深みを失ったことと比較するとよく分かる。

都が移ってから150年経ても、これだけ経済的に栄えている街は世界を見渡しても珍しい。ここの「おねだん」感覚は鋭いのだ。

「京都のおねだん」は、今後ますます経済的地位が低下していくだろう我が国が、世界で生き残るためのブランディングのヒントとなるのではないか。そして、それがモノのおねだんではなく、人のつながりのおねだんであることも覚えておきたい。

読書人の雑誌「本」2017年4月号より