北海道の泊原発 〔PHOTO〕gettyimages
環境・エネルギー 日本 ドイツ
映画『サバイバル・ファミリー』をみて日本のエネルギー安保を考える
私たちに与えられた課題は何か

現代社会の脆さ

1月のある土曜日、長女と、独マンハイム市の近くの靴の量販店で買い物をしていたら、突然、停電になった。

まだ夕方だったし、壁一面がすべてガラス張りだったため、店内が真っ暗になったわけではない。ただ、レジは一瞬にして機能しなくなり、並んでいたお客と店員は途方にくれた。

長女が、靴を手に提げてどうしようかと考えているあいだに、数人の店員がさっと出入り口に立った。万引き防止のゲートも機能しないからだ。そうするうちに刻々と日が落ち、店内はあっという間にだだっ広いお化け屋敷のようになった。

この付近はアウトレット地区で、広い道路に沿って量販店や大型の外食店が並んでいる。外を見ると、すべての店で明かりが消え、なんと、信号まで真っ黒だった。いまどき広域停電というと、まず、テロを思う。

20分ほど待ったが、結局、事情が分からないまま店を出た。駐車場から道路に出た途端、信号が点いていないので結構危ないということがわかった。しかし、警官が出動する気配はなく、皆が自己責任で運転していた。

翌日、調べたら、電力会社のホームページには、いつものごとく何も書かれておらず、地元の新聞のオンライン版に小さく、“変圧器の火災で停電”と出た。しかも、「消防のおかげで速やかに復旧」と、まるで手柄話のような記事である。

 

さて、場所は日本に変わり、先週、『サバイバル・ファミリー』という映画を見た。邦画で、停電の話だ。

ある日突然、電気も電池も機能しなくなり、現代社会はもろくも崩れる。人はまもなく、水と火と食料という究極のライフラインを確保するために全力を尽くさなければならなくなる。

映画では、ある一家が生き延びるために東京から鹿児島へと向かうのだが、江戸時代に薩摩藩が一年おきにやっていたその移動が、現代人にはなかなかできない。映画では、その困難な旅がときに深刻に、ときにユーモラスに描かれている。

ストーリーは一見、嘘っぽいが、多くは、停電になったら実際に起こることばかりのようで、よく考えると妙にリアルで、怖い。

日本のエネルギー安全保障問題

電気がなくなれば、都会では死屍累々になるなあと思いながら映画を見ているうちに、その数日前に行った北海道の光景が目に浮かんだ。北海道では電気の供給が逼迫しているという。

北海道の電気は、福島の事故までは、原発が44%を賄っていた。北海道の原発といえば、積丹半島の裾のところの泊原発。東日本大震災の影響を受けなかったので、その翌年のゴールデンウィークまで稼働した。つまり、最後まで頑張った原発だ。

しかし、ゴールデンウィークに定期点検のために停めたあと、動かせなくなった。福島の事故の後、安全基準が変わったからだ。

そこで今、発電の方は石炭と石油を買い増して、火力をフル回転させている。

とはいえ、原発分である44%が欠落しているのだから、状況はカツカツ。寒冷地なので、冬場がとくに危ない。せっかくの太陽光発電も雪空の下では役に立たず。そんなわけで、原発を止めて以来、燃料の買い増し分だけで年間1000~2000億円が余計に出て行く勘定だ。