地震・原発・災害 台湾
日本人が知らない、3.11で台湾から届いた義援金200億円の真実
日台をつなぐ名も無き人々の感動秘話
木下 諄一 プロフィール

「この小説を書くことは、僕の使命かもしれない」

――タイトルの『アリガト謝謝』に込めた思いを教えていただけますか?

内容に合致しているものをというのもありますが、黄春明の『さよなら・再見』(注・現代台湾を描いた1974年の作品。初めて日本で翻訳された台湾の小説でもある)という小説があって、そのオマージュでもあるんです。

――では、これから本書を手に取るであろう読者に向けてメッセージをお願いします。

この本の中には僕が台湾で何十年と生活する中で感じたいいことも悪いことも全て入っています。どんなに洞察力の深い作家でもそこまで到達するのは難しいと思いますし、義援金を送った側の台湾の作家がこれを書くのもちょっと違う気がします。ですから、この小説を書くのは僕しかいない、これが僕の使命なのかもしれないと思いながら書きました。

そう思ったのは、取材時に「このお話はフィクションとして処理させていただきます」「ベストは尽くしますが、現時点では本になるかどうかはわかりません」という2つの条件を出させていただいたとき、ほぼ100%の人が気持ちよく取材に応じてくださったというのもあります。

――おぉ! そうだったんですね。

みなさん話しながら「こんなこともあったよ」「あんなこともあったよ」と色んな話を思い出してくださったので、記憶が風化する前に取材できたのは本当に良かったと思います。

「自分達がやったことを伝えてほしい」「本になったら嬉しい」という彼らの気持ちも伝わってきましたし、条件付きであったにもかかわらず快く取材に応じてくれた台湾の人達にはとても感謝しています。

――そこまで思い、何十年も住んでいらっしゃる台湾という国は、木下さんにとってどんな国なんでしょう?

海外に住むと、「日本ではどうだ」「台湾ではどうだ」と何かにつけ比較しがちになるんですね。そうすると「あっち」と「こっち」ができてしまい、別個の思い入れができてきます。

ところが20年、30年海外に住むと、それぞれのいいイメージが溶けあって大理石の模様みたいになるんです。個人的にはそれが海外に住む理想形だと思っていて。

ですから僕は、「台湾ありがとう!」と声高らかなところからは少し違う温度感で台湾を見ているのかもしれません。そこまで日本と台湾を分けて考えていないというか……もし、明日から日本に住めといわれても躊躇はないですし。

――最初に2008年には日本に帰ろうと思っていたとおっしゃってましたもんね。

そうなんです。ところが文学賞を取って、台湾に居ることになって。そこは街と人の縁ですよね。僕の1冊目の小説も、人は街に呼ばれ、縁が尽きればその街を離れていくというのがテーマでしたし。

――今後は「あっち」と「こっち」という感覚がないまま海外に出る若い人も増えそうです。

確かに増えそうですね。ただ長く住めばいいということではなく、イヤな思いばかりしていたらそうはならないでしょうし、現地に根付かないとでてこない感覚だとは思います。だけど、いい環境で長く住めば大理石の模様がでてきますよ。

(インタビュー・構成/山脇麻生)

木下諄一『アリガト謝謝』日本と台湾をつないだ、名も無き人々の国をも超える力。台湾在住30年の著者が圧倒的取材で綴る、日本人が知らない感動ストーリー。
木下諄一(きのした・じゅんいち 1961年愛知県生まれ。東京経済大学卒業。商社勤務、会社経営を経て台湾に渡り、台湾観光協会発行の「台湾観光月刊」編集長を8年間つとめる。2011年、中国語で執筆した小説『蒲公英之絮』(印刻文学出版社)で外国人として初めて、第11回台北文学賞を受賞。著書にエッセイ『随筆台湾日子』(木馬文化出版社)など。