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日本史

戦闘員なのに戦うことを禁じられた「武士」のアイデンティティ崩壊

橋爪大三郎×大澤真幸の歴史対談【第二回】

日本を代表する二人の社会学者が、江戸から明治に代わる時代に何が起こったのかを語りあう全4回の対談。その2回目をお届けします。(第1回『武士が担った革命・明治維新は、なぜ武士の世界をつくらなかったのか』はこちらから

スリリングな対談を追っていけば、日本人には欠かせない「歴史教養」が身につくことは間違いありません。

鉄砲は社会学的な主体を生み出さなかった

大澤: 『げんきな日本論』の中でも、橋爪さんはかなり鉄砲について詳しく論じられています。それで、橋爪さんとお話ししながら確信しましたけど、日本の歴史、とくにいわゆる普通の分類でいえば「中世史」から「近世史」の転換部分を理解するときに、鉄砲というのが非常に重要なキー概念だと思う。

今おっしゃったように、鉄砲は武器として決定的であることを、日本人、日本の武士たちは理解していた。もちろん、徳川幕府はとくにそれに敏感だった。それは事実なんですね。

ただ、僕は、それだけ鉄砲が客観的に見れば決定的な勢いを持っているのに、鉄砲は社会学的な主体を生み出さなかったということがすごく重要なところだと思うんですよ。つまり鉄砲は、軍事技術上の意味は持ったのに、それが社会学的な意味を持たなかったのが不思議なところだと思うんです。

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どういうことかというと、『げんきな日本論』でも書かれていますけれども、鉄砲とが出てくると、鉄砲を持っている階級というものが重要になってくる。それがヨーロッパでは市民革命につながっていくわけですね。日本ももちろん、戦国大名が鉄砲を使いこなすようになる。

とくに鉄砲を使うのが上手だったのは、皆さんご存じのように、織田信長ですね。だから彼は非常に強かった。鉄砲をどれだけうまく使えるかというのは実際の大名においては決定的。なのに、それにもかかわらず、鉄砲を使う人の社会的身分は常に低いんですよ、ものすごく。

幕藩体制で、先ほど、武士が武士としてのアイデンティティを保ち続けると言いましたけど、彼らは刀を持っているじゃないですか。鉄砲は厳密に管理されているんですよね。アメリカの銃社会みたいなことにならないんです。これは刀のほうが鉄砲よりも偉いと言いますか、社会的な威信が高いんです。

刀の名人というのは大変立派なんですよ。日本では尊敬の念を受けた。でも、鉄砲を撃つのが上手というのは全然クズなんですね。日本で鉄砲が上手でほめられるのはゴルゴ13だけなんです。それまではないんですよ……ゴルゴ13の国籍が日本人かどうか、微妙ではあるんですが(笑)

日本では鉄砲というのは非常にプレステージ(威信)が低いんですね。先ほど、いい例を出してくださいましたけど、ドン・キホーテです。ヨーロッパで見ると、ドン・キホーテは時代遅れの象徴なんですね。勉強をたくさんしている人はご存じのように、ミシェル・フーコーの『言葉と物』という本の中で、ドン・キホーテのことが非常によく出てきます。

『言葉と物』というのは思想史のテキストですから、ドン・キホーテが、フーコーの言葉で言えば古典主義時代――今日の言葉で言えば近世あるいは絶対主義の時代ですけれども――でありながら、ルネサンスや中世の段階にとどまっていたキャラクターとして、思想史的に、この時代遅れ性が面白いと、フーコーは分析しているわけです。

もっと思想史以前にですね、生き方のスタイルとしてドン・キホーテは遅れてるね、と。ところが、日本のほうを見ると、武士はみんなドン・キホーテなんですよ。ドン・キホーテが威張ってるような時代なんですね。つまり、鉄砲自体はドン・キホーテを上回ることはなかったんです。

考えてみると、刀を持って、弓を持って、場合によっては馬に乗って戦うというのは、それは武士の本来の形態で、もっと言えば、中世の辺境での戦い方なんです。その戦い方から形成されたアイデンティティというのが、もうすでに戦いの技術としては完全に時代遅れになっているのに、メインであり続けたんですね。

そして、その下に鉄砲というのが、技術としてのポテンシャルはすごいので、完全に、厳密に管理できた。というか、逆に鉄砲がなぜかくも完璧に管理できたかというと、鉄砲というものが社会学的な主体を生み出さなかったからだと、僕は思うんですね。そこはだから、不思議なところですね。

だから、元に戻すと、江戸時代の始まりにおいて、武士たちは武士じゃない仕事をしながら、武士としてのアイデンティティを保っているわけです。そのときの武士というのは考えてみると、全員、ドン・キホーテなんですよね。

つまり、既に戦闘力として何の意味もないにもかかわらず、そこに最も重要な自分の自尊心の根拠みたいなものを置く人たちが集合して、しかも、社会的には一番優位な政治的な権力、実権、あるいは行政上のトップに立つと、そういう時代が始まったということになるんじゃないかと思うんです。

この武士の存在自体が、社会の中でドミナント(支配的)であったにもかかわらず、全体としてある種の潜在的なアナクロニズム(時代錯誤)というのを備えていた。そのアナクロニズムを固定したという感じで近世があり続けたというのが、幕藩体制が始まったことなのかなというのがとりあえずの解釈ですけど。どうですか?