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「これまでの記事を撤回したい…」沖縄で私はモノカキ廃業を覚悟した

素人が扱ってはいけないイシューがある
中川 淳一郎 プロフィール

これまでの沖縄記事を全部撤回したい…

那覇市内に戻ると、沖縄国際平和研究所(旧・大田平和総合研究所)へ行き、沖縄戦やそれ以降の沖縄の様子を写した多数の写真とともに、ナチスのホロコースト関連の写真を見た。

途中、地元の若い母親が小学校低学年の子供を連れてきた。彼女は息子に「いい? すごく残酷な写真があるから、イヤだったら見ないでね」と注意しながら、沖縄の歴史を息子に伝えようとしていた。

同館では、職員のZ氏から詳しい解説を受けたのだが、「沖縄について知らないことがこれほどまでに多かったのか」と絶望的な気持ちになった。元々、アリバイ作りのごとく15分ほどいれば良いかと思っていたのだが、気がつくと滞在時間は1時間30分にもなっていた。

ここ10年ほどの沖縄をめぐる騒動なども多数の写真とともに紹介されていた。同研究所の理事長・大田昌秀元知事は、アメリカに対して公開請求を行い、米軍発の写真を多数手に入れたそうだ。すさまじき熱意である。

研究所滞在の終盤、私はどうにもこうにも情けない気持ちになってしまった。もはや友人である津田大介氏に思いの丈をぶつけなければ平静を保てない状態になっていた。職員のZ氏が手榴弾の説明をしている最中、津田氏に「こっちに来てくれ」と言い、胸の内を打ち明けた。

中川:「津田さん、オレはもうダメだ」

津田:「どうしたの」

中川:「正直、オレは日本で最も多くのネットニュースを編集してきた人間だと思う」

津田:「うん、そうだね」

中川:「オレは多分、この11年間で12万本以上のネットニュースを編集したけど、沖縄に来て、すべてがぶっ壊された感覚を味わってしまったんだ。いかに浅い知識をもとに、編集という本来は重い業務をやってきたのか、と。

もちろん沖縄絡みの記事も編集してきたし、ツイッターでも沖縄について軽口を叩いてきた。だけど、今、こうしてこの地にいて色々な話を聞くと、これまでの沖縄記事を全部撤回したい気持ちになったし、もっと言うと、ほぼ全部の記事を撤回したい気持ちになった。

編集者って、すごく重い仕事だっていうのに、毎日毎日、ただ数をこなすように仕事をしていたことが実に虚しくなってしまった。オレはほとんどの分野において専門家ではないのに、一体これまで何をやっていたのかね……。もうオレは廃業しなくちゃいけないのかな」

津田:「いや、それは違う。オレだって3年前に沖縄に来て、同じような感覚を味わったけど、こうやって現場に来ることが大事なんだよ。そして、この研究所の存在も含めて、中川君は自分のやり方で皆に伝えればいいんじゃないかな」

その後、私は空港で感極まり、涙を流した。

皆と別れると、一人那覇空港でビールを飲みながら今回の原稿をどうまとめるべきかを考え続けた。そして、帰京後2週間あまりが経過してようやく、手をつけることができた。

辺野古の海と私(撮影:津田大介)

「表現」の仕事の恐ろしさ

今の気持ちを説明するとしたら、「もう、右も左もどうでもいい」の一言だ。

今回の沖縄滞在は、これまでの取材の中で2002年のアフガニスタン取材と並び最も重苦しいものとなった。そして、私がこれまでツイッターで繰り広げてきた数々の論戦が、無知蒙昧同士の無意味な応酬であったことを思い知らされた旅だった。

沖縄を題材にしてるけど、結局、ただケンカしたいだけなんじゃないの? 沖縄を題材にしてるけど、本当は自己主張したいだけなんじゃないの?

本来は、当事者にとって問題解決になることだけをするべきなのに、ネット上では当事者を置き去りにした空中戦が繰り広げられている。毎日のように、両派がバチバチぶつかり合っているが、そんなことはもうどうでもいい。私がそこへ加わる必然性は、まったくもって皆無なのだから。

インターネットが一般に普及してから約20年間。思えば我々は、陰謀論なども含め、安易に発言し過ぎてきた。「在日特権」もそうだし、「安倍晋三極悪論」もそうだし、「翁長雄志中国スパイ説」もそうだ。

過去には「電通が本田圭佑を日本代表のレギュラーにゴリ押ししている」とか、「NEWSのファンである『パーナさん』が魔都・東京で集団レイプ被害に遭いそう」とかいったくだらないデマも流れていた。

ネットにおける人々の発言は私も含め、時に純粋な正義感からだったり、時に反射的な怒りからだったりする。しかしながら、私は今回の沖縄での1泊2日により、考えを改めた。自分の専門領域や実態がよく分かっている事柄以外においては、誰かの人生に関与するかもしれない「表現」は慎まねばならない。絶対に。

私は1997年に広告業界に入り、2001年に独立してライターになった。以後、今に至るまで編集業務を続けているが、「表現」の仕事に就いて20年、その恐ろしさを実感として初めて知ったのだった。

もはや「右」とか「左」といった分類はどうでもいい。これからは、「手出しすべき案件」と「手出ししてはいけない案件」を明確に切り分けることを考えていきたい。もしも困っている人がいて、その改善に自分が寄与できるのであれば、もちろんアクションは起こすが……。

この原稿は、元々反対派に否定的だった人間が現地で実態を見て、「反対派に一方的に批判的であってはならない」と考えを改めた個人的な体験をもとに書いた。

「サヨクに取り込まれやがってw」と言うなら言え。あなたたちの批判はオレの心になんの波風も立てない。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年生まれ。東京都出身。ライター、編集者、PRプランナー。一橋大学商学部卒業後、博報堂CC局で企業のPR業務を請け負う。2001年に退社し、しばらく無職となったあとフリーライターになり、その後『テレビブロス』編集者に。企業のPR活動、ライター、雑誌編集などを経て『NEWSポストセブン』など様々な、ネットニュースサイトの編集者となる。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』、『凡人のための仕事プレイ事始め』、『ウェブで儲ける人と損する人の法則』、『内定童貞』など。Twitter:@unkotaberuno