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「これまでの記事を撤回したい…」沖縄で私はモノカキ廃業を覚悟した

素人が扱ってはいけないイシューがある
中川 淳一郎 プロフィール

内地の人間が自分たちの論理で動くから…

この日の夕方、関東地方出身で沖縄在住のジャーナリスト・X氏に話を聞いた。X氏は、沖縄の人々のことが「今でもよくわからない」と言う。

「取材した後、その相手と一緒にバーに行ったりするわけですよ。すると真逆のことを喋り始める。本音で語ってもらった時に愕然とするんです。沖縄には表裏一体で両方の意見を持ってる人が多い。会う相手によって言うことが変わる。Aパターン、Bパターン、Cパターンというように、一人の人間であっても違うことを言うんです。でも、どれも本人なんですよ。ウソをついているわけではありません。

私も全国各地で取材をしてきましたから、『大体これがボリュームゾーンの意見だろうな』という直感が働くのですが、沖縄ではそれが通用しない。山でなく、カステラみたいなんですよ。どこを切っても沖縄の声ではあるものの、突出した意見がない。だから、考えれば考えるほど沖縄のことが分からなくなってくるんですよね」

また、X氏は、翁長雄志県知事が掲げる「オール沖縄」の行く末を決める一つの要素にもなると言われた2016年1月の普天間飛行場を抱える宜野湾の市長選について、さらに、沖縄県外人を意味する「ナイチャー」が沖縄で活動することについても語ってくれた。

同選挙は、辺野古移設反対を掲げる「オール沖縄」側の志村惠一郎候補(野党4党が支援)と、移設を争点にしなかった佐喜眞淳候補(自公が推薦)の一騎打ちとなった。55.92%を獲得した佐喜眞候補が勝利し、ジャーナリストの野嶋剛氏は「宜野湾市長選の敗北 『翁長時代』終わりの始まりか」という記事を執筆した。

X氏はこう続ける。

「宜野湾市長選の大惨敗は、選挙前に共産党系の団体400人が東京から大挙して押し寄せたことが影響していると語る人もいます。彼らは各家庭を訪れ、『辺野古移設を容認してはダメです!』と主張して回っていました。これにうんざりしてしまった人もいた。

宜野湾市民にとって『辺野古』という言葉がどれだけの意味を持つのかを、大和の人が知らなかったという側面もあったのかもしれません。本土から辺野古の工事を実力で止めることにすごく否定的な意見を言う人もいますが、沖縄県民からすると、『なんでナイチャーが来て、混乱させるんだ?』となる。

さらには『ナイチャーが争いの原因作っているのでは?』と感じる人もいる。内地から来た人が、沖縄の複雑なまなざしを分からず、自分たちの論理で動くとおかしなことになるんです」

ヘリパッド工事反対運動の震源地で

その後、遠藤ミチロウ氏のライブへ行き、翌朝、高江へと向かった。

高江のヘリパッド工事反対派による横断幕

日曜日で工事は休みだったため、N-1のテントには当番の女性が一人いるだけで、テントを初めて訪れる人に向けて地図を見せながら、立て板に水のごとき解説をしていた。

私は彼女に「反対派が地元の人にも迷惑を及ぼすような検問をしていると聞いたのですが、それは事実でしょうか?」と聞いてみた。すると彼女はこう答えた。

「ちょっとやり過ぎてしまった人はいるかもしれません。そこら辺は、やっていいこと、わるいことをきちんと情報共有すべきだと思います」

テントには我々の他、地元民ではない2人の女性が訪れていた。この2人は工事反対派に賛同しているようだった。

さらに、地元の老夫婦と思しき2人がいた。70代の男性は現在、認知症の初期段階のようで、女性・Q氏が男性を散歩に連れてきたのだという。

「思しき」と書いたのは、実際、夫婦なのか親子なのかが分からなかったからだ。

男性は70代半ばだったが、Q氏は彼のことを「父」と呼んだ。そしてQ氏は、死者17名、重軽傷者210名を出した1959年6月30日の「宮森小学校米軍機墜落事故」の時、小学生だったと語った。

ということは、Q氏はもっとも若くとも1952年生まれになるわけで、1940年代前半生まれである男性との年齢差は10歳ほど。そうなると「父親」ではないと推測される。後に沖縄出身者に「夫のことを『父』と呼ぶことはあるか?」と聞いてみたが、詳細は分からなかった。もしかしたら彼女は若い男性と結婚したため、あまり年の変わらない「義父」なのかもしれないが、そこはこれ以上はこだわらない。

ここで津田氏と木村氏と私はQ氏から様々な話を聞いた。彼女は最初、我々を警戒をしており、老眼鏡をかけ、「私はQと申します。あなたたちの名刺をいただけますか? 私は持っておりませんが」と言った。

すぐに名刺を出し、身元を明らかにした。結果、20分ほどでQ氏は我々に対する警戒を解いてくれ、老眼鏡をはずし、にこやかに、高江について、米軍基地について語りだした。一つ印象的だったのが、テントに来る理由だ。

「私がテントに来る理由は、一義的には、父のリハビリのためです。高江村では、デイサービスが週に1回しかありません。他の日にどうすべきかといえば、1.5kmを歩いてこのテントにやってきて、色々な人々との掛け合いをしたいのですね。このテントは私たちにとってはコミュニティスペースのようになっています。オスプレイの配備反対とかそれ以前に、こういう目的があるんですよ。

ここ(N-1)は、こうして穏やかですが、(衝突が発生する)N-1裏は私の居場所ではない。ちょっと怖いの。生々しいの。でもね、N-1のテントに来るだけでも、抗議の意思は示せるでしょ? 自分なりの表現できる形でやっていけばいいんです」

そして、高江についてはこう語った。

「私はここに沖縄の都市部から移住してきました。高江はいい場所ですよ。3~4月は霧が出るのね。あれは幻想的です。星もキレイ。色々な動植物がいるしね。蛇も出ます。アカマタという蛇はそんなにきれいじゃないけど、グリーンリュウキュウヘビってのはこれがとても美しい緑なの。そんな蛇が私の家の中に入ってくるからドキッとするし、気持ち悪いけど、蛇が這ってるのも幻想的ですよ。

元々この高江に蛇たちは住んでいたの。そこに私たちが家を建てて入ってきた。前々からいた彼らを殺すなんてできません。こんな素晴らしい場所なんです。子供達も騒音で体調が悪くなったりして、引っ越さざるを得ない状況に追い込まれたりしているけど、いつか高江に集って高江の思い出を語ってもらいたいですね」

キャンプ・シュワブ正門前テントの横断幕

その後、辺野古のキャンプ・シュワブ前の反対派のテントも訪れた。

日曜だったため、3人しか人はおらず、ものものしい雰囲気はなかった。かつての米軍関係者にとっての歓楽街だったエリアも閑散としていた。