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文学

村上春樹の小説を読むと、強く生きられそうな気分になるワケ

なぜこれほど惹きつけられるのか

人生で一番人に貸した本

村上春樹の新刊が出た。『騎士団長殺し』。

近所の書店では、発売前から書店員が書名を書いた名札を胸につけていた。殺し、という名札を全員がつけている風景は少し異常だった。確実に売れる本は書店にとってとても大事な商品なのだろう。

村上春樹は1979年の春のデビューのときから読んでいる。

若い人にときどき「村上春樹が好きなんですか」とストレートに聞かれることがあって、何というか「空気、好きですか」と聞かれてるような気分になってしまって戸惑うことがある。

いまさら好きの嫌いのという話ではないのだが、そういう説明をすると相手を混乱させるだけなので「好きですね」と答えるようにしている。

ハルキストですかと言われるともっと困ってしまって、スワローズのヒルトンよりもタイガースの岡田を応援していましたので、と答えそうになって、でも、にっこり微笑むだけにしている。

ヤクルトスワローズが優勝した翌年、村上春樹は雑誌「群像」の新人賞を取った(私が大学に入った直後でもあった)。『風の歌を聴け』である。

「群像」新人賞は、その3年前に村上龍が『限りなく透明に近いブルー』を受賞しており、文学好きの(小説家になりたいと夢見ている)大学生の注目のまとだったのだ(前年は18歳の中沢けいが受賞しており、それも少し話題になっていた)。

風の歌を聴け』は夏に単行本になって出版され、勇んで買って(装幀がやたらとお洒落だったし)、なぜだかいろんな人にその本を貸した。おそらく人生でもっとも多く人に貸した本だとおもう。

なんでそんなに必死になって貸していたのか、よくわからない。村上春樹を知ってもらいたい、という気持ちだったのだろうけれど、それが成功していたとは言い難い。みんな、やや不思議な表情をしながら、もごもごと礼を言って、本を返してくれた。

年が明けて1980年、まだ寒いうちに群像で第二作の『1973年のピンボール』を読んだ。そして1982年の暑いころ『羊をめぐる冒険』が「群像」に掲載された。この長編(中編の長いもの)を全編収録した雑誌「群像」はものすごい厚さだった。アルバイトを少しさぼって喫茶店で読みすすめた。

1985年には『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が函入りの書き下ろし小説として出版された。そのころは私ももうライターとしての仕事を始めていたころで、雑誌の撮影現場で、モデルの女のコとこの小説の話(二つの世界を行き来する感覚の奇妙さ)をしたの覚えている。

1987年になって『ノルウェイの森』が発売されてすぐに買ったが、この本は読み始めて数ページで、なんか違うとおもって、読み進められなくなった。通して読んだのは、ずいぶんあとになってから(十年以上経ってから)だった。

なんかちがう、とおもったこの作品が大ベストセラーになり、村上春樹は、日本でもっともよく知られた作家の一人となった。もう、彼の小説を友人に貸す必要もなくなった(第一作後はほとんどやっていなかったけど)。

 

ダンス・ダンス・ダンス』(1988年)、『国境の南、太陽の西』(1992年)を経て『ねじまき鳥クロニクル』が1994年に出た。最初に二冊の本が出て、これで終わったのか終わってないのか、よくわからないシリーズが始まった。

スプートニクの恋人』(1999年)、『海辺のカフカ』(2002年)、『1Q84』(2009年)ときて(色彩を持たない話もあったけど、あれは長い中編くらいに見える)、『騎士団長殺し』(2017年)である。

『騎士団長殺し』を読んで、ああ、いつもの村上春樹の世界だ、とおもった。それが私にとって新作に対する感想のすべてである。

良い小説とは?

いきがかり上というか、村上春樹はデビューからのつき合いなのだから、作品が出るたびに読んでいる。

小説を読むときに、ストーリーのおもしろさは私にとってあまり重要なファクターではない。

もちろん、ストーリー展開はおもしろいに越したことはないし、おもしろいと読み進むのが早くなるのだが、しかし早く読める小説が良い小説だとはおもえない。

大事なのは、その小説を読んで得られる独自の世界観であり、それをもたらす文体であり、それを支える表現である。そこが気持ち良くないと良い小説に感じられない。