2016年に仙台で行われた東日本大震災追悼キャンドルナイト(Photo by gettyimages)
地震・原発・災害
震災復興「ヤレヤレ詐欺」の現実〜国の政策失敗の「闇」を読み解く
「地方創生」のホントのところ

意図不明なものが多すぎる

トランプ大統領就任後のアメリカの混乱や金正男氏殺害事件のニュースが連日のように報じられ、国内に目を移せば、相変わらず豊洲市場問題のごたごたが続くなかで、東日本大震災からちょうど6年という節目の日がそろそろやって来る。

震災後、ある程度時間が経ち、被災地では目に見えて変わってきたものも多い。ただし、それが復興の形として果たしてどうなのかとなると、決して手放しでは喜べない。

たとえば、誰も訪れないような海浜公園であるとか、ここまで必要なのかと首を傾げざるを得ない広大な範囲のかさ上げ工事だとか、誰を守るのか不明な巨大防潮堤だとか、25兆円以上にもなる莫大な復興予算が、本当に被災住民のことを考えて使われているのかとなると、はなはだ疑問だ。

むしろ、民間のファンドやNPOの活動のほうが、被災住民と直接結びついていて分かりやすい。

このままだと、またしても大規模公共工事の負の遺産を未来の世代に手渡すことになってしまうのではないか。そう危惧してやまないのであるが、なぜそうなってしまうのか、国、自治体、市民の関係性、つまり「地域社会の統治構造」を読み解くことで明らかにしようとしているのが『地方創生の正体――なぜ地域政策は失敗するのか』である。

地方を壊す中央の「統治」

山下祐介(社会学)と金井利之(行政学)という二人の論客の対論が中心となっている本書は、副題からわかるように、これまで国が主導してきた地域政策は失敗の連続であったという立場を取っていて、なかなか刺激的だ。

議論の取り掛かりとして「地方創生」と「震災復興」がまずは取り上げられているが、現政権が喧伝している「地方創生」は、人口減少が避けられない今後の日本においては、自治体間による共食い競争になるだけだと切り捨てている。

さらに「震災復興」は、被災者の復興へは向かわずに「あれやれ、これやれ」の「ヤレヤレ詐欺」に近い状況になっているとも述べている。そんな具合に、かなり過激な言葉が飛び交っているのだが、そこまで強く言わないと本質が見えてこないやっかいな部分が、この問題にはあるようだ。

 

本書での対論を通して見えてくるのは、今の日本は統治が自治を抑え込む構造になっており、ローカル・ガバメント(地方政府・地域政府)を潰そうとする方向に、結局は、コミュニティ(地域社会)の持続が難しくなる方向に向かっているという、全く歓迎できない現実だ。

ともあれ、30年後にゴーストタウンになったり、シャッター通りがまたしても出現したりするような復興政策、そして地域政策では、はなはだ困るのである。

では、どうしたらよいのかとなると、これまた大変難しい。そんなおりにたまたま書店で目にとまった本が『フランスの地方都市にはなぜシャッター通りがないのか』である。