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地震・原発・災害

ペットブームに隠れた未知の領域、猫の「心」を探る旅

猫はなぜ人を癒やせるのか

動物の心を知りたい

野良猫はどこにでもいるが、東京電力福島第一原子力発電所の事故は、かつてない規模の野良牛=放れ牛を出現させた。大きな牛たちに交じって、置き去りにされた小さな猫も生きていた。

原発から半径20キロ圏内の警戒区域では人の立ち入りが禁止され、猫や犬、家畜の生存の道はほとんど閉ざされた。犬は人に保護されないかぎり、ひと冬を越すことなくおおかた死んでしまった。

牧柵の外に出て生き延びていた牛の捕獲・安楽死処分が、行政の手で最後に行われたのは2014年1月29日。そのころには避難指示区域で猫の姿を見ることはめっきり少なくなっていたが、それでもひょっこり猫に出合うこともあった。

猫も牛も、先祖をたどれば野生動物である。四つの胃をもつ草食動物である牛は、雑草を食べて生き延びることもできる。

猫には肉食の虎や豹と同じく、単独で獲物を狙って仕留めるハンターの血が流れている。人っ子ひとりいない警戒区域にも、猫の鋭い牙と爪の餌食になる鼠、小鳥、トカゲ、昆虫などの小動物が生きていた。

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原発事故後、福島の被災地へ取材に通うようになった私は、野生動物のように生きる気高い牛や猫の姿を目の当たりにした。安楽死に抵抗し、野獣となって暴れ回った牛もいたが、多くは最期まで人間を信頼し、従容として麻酔剤の注射を受けた。福島県動物救護本部のシェルターには、多いときには205匹を超える猫が収容され、じっと静かに飼い主を待っていた。

すでに牛舎で餓死したおびただしい数の遺骸、死にゆく牛の荒い呼吸音、魂の抜け殻のように毛皮が風に吹かれている猫や犬……。それらの光景は人間とは異種の生きものの、人間が知りえない「心」の存在を感じさせた。私は動物の心を知りたいと、切に思うようになった。

被災地で猫たちがどんな思いで生き延び、死んでいったのか。そして、地球上に人間が築いた街や家にいま棲んでいる猫たちが、日々何を感じ、何を思って生きているのか。猫ブームといわれていながら、猫の「心」は未知の領域にある。拙著『すべての猫はセラピスト 猫はなぜ人を癒やせるのか』は、猫の心を探る旅の記録である。

薬よりも猫の力を

私は福島への行き帰りに、しばしば茨城県阿見町に棲むヒメという名の白猫を訪ねた。

その猫は幼いころからセラピードッグと一緒に生活し、アニマルセラピーの場に同行してきた。日本では珍しい「セラピーキャット」として成長したヒメの訪問先は、精神科病院、高齢者施設、障害者施設など。そこでヒメを待っているのは、統合失調症、認知症、知的障害などを抱えて生きねばならない、苦しい状況にある人たちだ。

余命幾ばくもない子どもの「猫と遊びたい」という願いをかなえるために、ヒメは病院のベッドの上でじっと寄り添うこともある。

ヒメが毎月二回、アニマルセラピーを行うために通っている精神科病院の院長は、統合失調症の患者に投与する薬の減量に、日本でいち早く取り組んできた。欧米では1980年代以降、慢性期の患者に薬を過量に用いても精神症状の改善につながらず、かえって社会復帰の妨げになると考えられるようになったという。