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野球 エンタメ
WBC出場によって野球人生を狂わせた選手たちの「本音」
運命といえばそれまでだが…

ヒジが悲鳴をあげた

日本が二大会ぶりのV奪還を目指す第4回WBCは3月7日、東京ドームでプールB・1次ラウンドがスタートする。決勝まで勝ち進めば15日間で8試合戦うことになる。

選手を代表に送る球団首脳が一番恐れるのがケガである。春浅い時期の大会ゆえ、選手にはどうしても故障のリスクが付きまとう。

選手に高額な年俸を払っている球団は気が気でない。WBCでケガをしたからといって主催者のワールド・ベースボール・クラシック・インク(WBCI)が、球団の損失分を補塡してくれるわけではないからだ。故障が長引けばペナントレースにまで影響が及ぶ。実際、過去には何度かそういう例があった。

 

参考までに言えばWBCIは、メジャーリーグベースボール機構(MLB)と同選手会が共同で立ち上げた運営会社である。メジャーリーグに利益をもたらすことを目的に設けられたのがWBCだが、海の向こうの報道によると、今回が最後と言われている。想定していたほどの収益が見込めないというのが、その理由だそうだ。ホスト国の米国がこの大会に本腰を入れていないのだから自業自得の印象をぬぐえない。

本題に戻ろう。昨シーズン限りでユニホームを脱いだ栗原健太は広島で16年、東北楽天で1年プレーし、通算打率2割9分3厘、153本塁打、576打点という成績を残した。もし2009年に行われた第2回WBCに出場していなければ、彼のその後の野球人生は違ったものになっていただろう。

栗原のキャリアハイは2008年だ。前年に続いて144試合フル出場を果たし、打率3割3分2厘、23本塁打、103打点と主砲にふさわしい数字を残した。

打率はリーグ3位、安打数は同2位、打点は同4位。パワーのみならず穴の少ないクラッチヒッターとして、さらなる成長が見込まれていた。

右ヒジにメスを入れたのは、この年のオフである。遊離軟骨、俗にいうネズミを4つも取り去った。

2009年WBCでの栗原元選手(Photo by gettyimages)

年が明ける前、栗原にはうれしい報せが飛び込んできた。第二回WBC日本代表候補に選出されたのだ。張り切るな、という方が無理である。

寒い中で始まったスプリング・トレーニングで、ついに栗原のヒジは悲鳴を発した。

「まだヒジには痛みが残っていたのですが、調整の段階からペースを上げ過ぎてしまって……」

日本代表メンバーには落選したが、第二ラウンドの韓国戦で右足を負傷した村田修一の代替選手として緊急招集され、準決勝の米国戦で代表デビューを果たした。

だが、オーバーワークの代償は小さくなかった。帰国後、栗原は語ったものだ。

「痛いまま打ったり、投げたりしていたものだから、そのクセがついてしまったんです。バッティングにおいては、痛いとどうしても当てにいくようになり、なかなか思いっきり振れない。振りたいんだけど振り切れない。やっぱり、まだかばっているところがあるのかもしれない」

――それは肉体的なものですか、それとも精神的なものですか?

「両方あると思います。また痛みが出るんじゃないかと気になる部分もあるし、実際に詰まったり、バットの先っぽに当たったりすると、まだヒジに痛みが残る。本当は最後まで両手でボールに力を伝えたいんですけど、痛いものだから、すぐに(右手を)離しちゃう。弓矢にたとえていえば、思いっきり弦を引っ張ってからパンと離せばいいんだけど、緩んだ状態でパーンといってしまっている。だからストレスがたまりますね」

WBC以降、栗原に2007年、08年当時の輝きが戻ることはなかった。

手術後、無理をせず、リハビリに専念していたら、古傷をこじらせ、34歳の若さでユニホームを脱ぐことはなかったかもしれない。うまくすれば、打撃タイトルの一つや二つは手にしていただろう。その選手の運命と言えばそれまでだが、返す返すも残念だった。