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雑誌 歴史

天才すぎて傍迷惑だった葛飾北斎、その門人が生きた「波乱の時代」

時代を超えて愛される芸術家の素顔

ゆとり世代の鴻山

全国的に認知されてはいなくても、その土地、その地域には、必ず歴史の一コマを飾った人がいる。そうした人物を知ると職業柄とても嬉しくなってしまう。

江戸時代の北信州小布施村(現長野市小布施町)の豪商であった高井鴻山もそのひとりだ。

拙著『北斎まんだら』の主人公・高井三九郎(鴻山は号)である。豪商の息子三九郎が、北斎と娘のお栄に翻弄されながらも、自身の中に潜む苦悩と向き合う物語(自分で書くととても恥ずかしい)だ。

その高井鴻山を生んだ小布施は、千曲川、松川のもたらす肥沃な地であり、戸隠連山、黒姫山、妙高山などの北信五岳を望む、パノラマビューの美しい町である。栗や果物、小布施ワインなどが有名だが、その基盤を作った一家が、高井家かもしれない。

 

最盛期の高井家は、間口三十間(約54メートル)、奥行五十間(約90メートル)の広大な屋敷を所有していた他、三百石の田畑を持っていた。また、邸内には剣術道場があり、幼い頃の鴻山は、松代藩の剣術指南役から剣術を学んでいる。酒造、穀物、茶の販売など、大坂、京都でも商いを行い、屋敷の使用人や小作人はそれぞれ約百余名。医者や按摩、大工なども高井家専属の者がいたという。

京都の九条家、近隣の上田藩や須坂藩、飯山藩、松代藩の御用達を務め、借金の無心に来れば無利子で金を貸す太っ腹で、飢饉や災害で困窮民が出れば、すぐさま救済に走る、そんな家だった。

鴻山は、15歳で京都に遊学して、絵画や詩歌、儒学を学び、一旦、小布施に戻ったが、今度は江戸へ出ている。同じ小布施出身の呉服商十八屋に居候していたとき、葛飾北斎に出会ったといわれる。

小布施の商農民の中でも飛び切りの富裕層であった高井家に生を受けた鴻山は、京や江戸で文化を学び、遊里で遊びを覚えるという、泰平の世のゆとり世代といえるだろう。

ただ、こうした傾向は、高井家が特別だったわけではなく、豪農や豪商の家では、実務よりも、文化的な教養を身に付けることがひとつの流行になっていた。つまり、そうした者たちが、身銭を切って、江戸文化の支え手になっていたのである。