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野村證券・元トップセールスマンが明かす「バブルの狂騒」
兵どもが夢の跡…

苛烈なノルマと厳しい上下関係で、「ヘトヘト証券」とまで言われた野村證券。その黄金時代に最もコミッションを稼いだトップセールスマンで、『野村證券第2事業法人部』を著した横尾宣政氏は、バブルの狂騒をどう生きぬいて来たのか?

稼げなければ人にあらず

私が野村證券に入社したのは'78年のことです。最初に配属されたのは金沢支店。それから20年後、'98年に新宿野村ビル支店長を最後に退職するまで、野村證券が最も活気に溢れていたバブル期を含む時代をモーレツ証券マンとして生きてきました。

野村は「ノルマ証券」の異名を取り、コミッション(手数料)のノルマが業界一厳しい社風で有名でした。社章がそう読めることから「ヘトヘト証券」とも呼ばれた。達成できない社員は怒鳴られ、締め上げられた挙げ句、耐え切れずに辞めていく。167人いた私の同期のうち、69人が1年以内に辞めていきました。

私が入社した当時、日本の証券市場はまだまだ未成熟で、私たちは株取引の仕組みさえろくに理解していないお客さんを相手に、ノルマの達成に勤しんでいたと言えなくもありません。

新人の頃は飛び込み営業が基本でしたが、夏場は外回りで汗だくになり、安物のスーツが乾いて白くなる。そんな姿を見られると、外交先では椅子にも座らせてもらえませんでした。

 

金沢支店時代のこと。応接室の前を通りかかると、怒鳴り声が聞こえてきた。ノルマを達成できない課長代理を上司が怒鳴りつけているところだったのですが、驚いたことに課長代理の隣には彼の奥さんも座っていた。

「こいつのために、みんなが迷惑しているんです。奥さん、どうにかしてください」
見てはいけないものを見てしまった気がしましたね。

こんな状況ですから、誰もがコミッションのノルマを達成するのに必死。そのためなら、損させると分かっている商品でもお客さんに売らざるを得なかった。'78年4月から'79年にかけて大量発行された表面利率6.1%の10年物国債、通称「ロクイチ国債」がいい例です。

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土下座など当たり前

この国債は額面100円に対して99円80銭で隔月発行されたのですが、その間にも金利は上昇(価格は下落)を続けるため、新たなロクイチ国債が発行される際には、2ヵ月前に出た銘柄が90円前後にまで値下がりしているという、ひどいシロモノ。

価格が暴落中の国債を買う人がいるのだろうかと思うかもしれませんが、上司に「この国債は国から押し付けられたものだから、絶対に売らなければならない。お前たちが国家予算を握っているんだ」と言われては、仕方がありません。

支店の上司からは「国債を売るときには、家の門に貼ってある新聞社のシールを見ろ。地元紙を取っている家なら呼び鈴を押せ。出てきた人が60歳以上なら売り込め」と指示されました。要するにロクイチ国債が暴落していることも知らないような、経済情報に疎い人を探し出して、売りつけろというわけです。

最初はこうした荒っぽい売り方に抵抗もありました。しかし「稼げばなんでも許される」という野村流の実力主義が私に合っていたのか、入社から数ヵ月後には確固とした実績を上げられるようになりました。